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第2章 明治国家の展開

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c. 議会政治の展開

2-18 隈板内閣の成立へ

仙台に於ける憲政党東北出張所の発会式 明治32年4月 「星亨関係文書」292
仙台に於ける憲政党東北出張所の発会式 明治32年4月 「星亨関係文書」292

第3次伊藤内閣は地租増徴案を第12議会に提出したが、衆議院は同案を圧倒的大差で否決した。そこで、政府は衆議院を解散したが、かえって自由党と進歩党の提携機運が高まり、明治31(1898)年6月22日に憲政党が結成された。同月25日に伊藤は大隈、板垣と会見し、政権譲渡の旨を伝え、30日に第1次大隈内閣(隈板内閣)が成立した。

ただ、宣言に掲げられた綱領が自由・進歩両党の主張の併記にすぎなかったことに見えるように、両派間の政策調整はなされておらず、内部対立を糊塗した提携であった。そのため、共和演説事件で尾崎文相が辞職するとその後任をめぐって旧自由・進歩両派が対立した。その結果、党は再び旧自由党派の憲政党、旧進歩党派の憲政本党に分裂、内閣も閣内不一致を理由に10月30日に総辞職した。

宣言

『宣言』
  • 明治31年6月
  • 河野広中関係文書 書類の部 989
  • 国立国会図書館
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伊藤大隈板垣会見録

『伊藤大隈板垣会見録』
  • 明治31年6月25日
  • 伊東巳代治関係文書 350
  • 国立国会図書館
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