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3-5 シベリア出兵
ウラジオストックを行進する日本海軍陸戦隊 大正7年8月16日 『図説昭和の歴史』第2巻所収
大正6(1917)年に成立したソビエト政権は成立直後からドイツとの単独講和に動いていた。これに危機感を抱いたイギリスとフランスは、シベリア鉄道占領などを目的としたシベリア地域への派兵を日本とアメリカに求めたが、寺内内閣は出兵には慎重な姿勢をとった。その中で出兵を強く主張したのが、外相の本野一郎であった。本史料は本野が元老の山県と松方、および寺内首相に提出した、出兵を求める意見書である。結局、この意見書は寺内らの慎重論を覆すことはできず、本野は病気を理由に外相を辞職する。
しかし、アメリカがチェコスロバキア軍救援のため日米共同の派兵方針を決定すると、日本もこれを機にシベリア出兵に踏み出した。
西比利亜出兵ニ関スル意見
- 大正7年4月
- 寺内正毅関係文書 447-33-(ロ)
- 国立国会図書館
- (付)本野一郎添書 寺内正毅宛 大正7(1918)年4月19日