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3-16 浜口内閣の成立
浜口内閣閣僚 昭和4年7月2日 『目で見る議会政治百年史』所収
張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)の処理について天皇から叱責を受けた田中義一首相は辞意を固め、昭和4(1929)年7月2日に田中内閣は総辞職した。同日午後1時に立憲民政党総裁の浜口雄幸に組閣の大命が下った。大命を受けた浜口はすぐに組閣に取り掛かり、5時間という異例の早さで組閣を完了した。内閣の主要政策である、協調外交と緊縮財政を象徴する幣原喜重郎および井上準之助の入閣に昭和天皇も満足を示したという。
順調な出発に見えた浜口内閣であったが、昭和5年(1930)年1月に断行した金輸出解禁により前年からの世界恐慌の影響を直接に受け、昭和恐慌に見舞われると、早くも主要政策での行き詰まりを見せることになった。