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4-5 陸軍内の派閥対立
林銑十郎 『歴代首相等写真』所収(憲政資料室所蔵)
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真崎甚三郎 『真崎甚三郎日記 昭和7・8・9年1月~昭和10年2月』所収
昭和9(1934)年11月20日、村中孝次大尉・磯部浅一一等主計ら青年将校と陸軍士官学校の士官候補生が、クーデター未遂の容疑で拘束された。村中・磯部は、士官学校事件(11月事件)と呼ばれるこの事件を、皇道派の中心である荒木貞夫軍事参議官・真崎甚三郎教育総監・林銑十郎陸相を陥れようとした片倉衷少佐、辻政信大尉ら統制派の策謀であるとして獄中から誣告罪で訴えた。陸軍刑法の叛乱罪では不起訴となったものの、村中らは停職、士官候補生は退校処分となった。昭和10年7月、荒木・真崎の党派人事に批判を強めていた林が、陸軍内の反皇道派や重臣グループの支持の下、真崎を教育総監辞任に追い込んだ。
この史料は、出獄後、停職中の村中・磯部が士官学校事件やそれ以前のクーデター未遂事件を暴露した「怪文書」である。これにより村中・磯部は免官となったが、「怪文書」流布の影響は大きく、皇道派系の相沢三郎中佐による、統制派の中心人物である永田鉄山陸軍軍務局長の暗殺に繋がった。さらに村中・磯部は、他の急進的な青年将校と共に2.26事件を引き起こすこととなる。
粛軍ニ関スル意見書 村中孝次・磯部浅一
- 昭和10年7月11日
- 憲政資料室収集文書 1201
- 国立国会図書館