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4-6 選挙粛正運動
岡田啓介挙国一致内閣のもとで、昭和10(1935)年5月に選挙粛正委員会令が公布されて各都道府県に同委員会が設置され、6月には民間の教化団体を組織した選挙粛正中央聯盟が結成された。この選挙粛正運動は、選挙の不正行為防止や「公正な選挙観念」の普及を目的とした内務省主導の官民合同運動であり、パンフレット配布、講演、ラジオなどによる啓蒙活動や、各地域での懇談会などが実施された。これは後に国民精神総動員運動・翼賛選挙へ繋がる下地となる。
また、同年8月27日に婦人運動団体により選挙粛正婦人聯合会が結成され、会長に吉岡弥生(東京聯合婦人会代表)、書記に市川房枝(婦選団体聯合委員会代表)を選出、中央聯盟へ加入し、女性も選挙粛正運動に積極的に参加した。しかし、これは選挙権を持つ男性へ働きかける「内助の力」を期待されたもので、婦人参政権獲得へ結びつくものではなかった。選挙権をはじめとする女性の権利獲得を目指していた女性運動家達も、国策協力への大きな流れに吸収されていったのである。
選挙粛正婦人聯合会規約・選挙粛正の為に我が国四千万婦人に愬ふ 愛国婦人会
- 昭和10年8月
- 斎藤実関係文書 158-20
- 国立国会図書館