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第4章 立憲政治の危機

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b. 軍部の台頭

4-8 宇垣内閣流産

大命拝辞を発表する宇垣一成 『昭和 二万日の全記録』第4巻所収
大命拝辞を発表する宇垣一成 『昭和 二万日の全記録』第4巻所収

昭和12(1937)年1月23日に広田弘毅内閣が総辞職すると、25日未明に、組閣の大命が宇垣一成陸軍大将に下った。宇垣は満を持して組閣に臨んだが、陸軍の反発は予想を超えていた。参謀本部の石原莞爾大佐らが中心となって、宇垣の3月事件(クーデター未遂事件)関与の嫌疑や、政党・財閥との深い関係から庶政一新に不適当、などを理由に宇垣の首相就任を拒否し、陸軍三長官会議では次の陸相を推挙しないことに決した。広田内閣で復活した軍部大臣現役武官制が壁となり、陸相を得られない宇垣は、天皇の優諚を請うことまで考えたが果たせず、29日に大命を拝辞した。

宇垣は「大命拝辞の上奏控」で、「組閣の大命か陛下の陸軍に依りて阻止せらるることは痛恨の極」とし、組閣を断念した経緯を述べている。また、側近の林弥三吉中将は、同日新聞記者に対し、軍による組閣阻止を「違勅ではないか」と批判する談話を発表したが、この談話の記事は掲載禁止となった。2月2日に陸軍の推す林銑十郎大将が首相となったが、軍部大臣現役武官制はこの後も倒閣の手段となって、軍部の政治的発言力を強化した。

大命拝辞の上奏控

報知新聞号外

『報知新聞号外』
  • 昭和12年1月29日
  • 憲政資料室収集文書 1173
  • 国立国会図書館
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