ホーム > 第4章 立憲政治の危機 > d. 戦時下の日本 > 国会議事堂の被弾
4-20 国会議事堂の被弾
昭和20(1945)年に入ると、B29爆撃機による日本本土への空襲は激しさを増し、東京は3月10日未明の大空襲に引き続き、5月25日夜から翌日未明にかけて、再び市街地への大空襲を受けた。当時の衆議院書記官長大木操の日記には、被弾した議事堂の消火に努める様子や、閣僚とその家族などが避難してくる模様が記されている。
一方、マリアナ諸島を基地として、爆撃を実行した米国第20航空軍の第21爆撃軍団が作成した報告書には、当日の天候、飛行ルート、爆撃目標と被害状況さらに投下爆弾の種類や量などの詳細なデータが記述されている。作戦任務報告書を含む戦略爆撃調査団(USSBS)文書は、当時の各地の空襲の実態を把握するためには、重要な基礎資料となっている。
大木手記 昭和廿年五月十六日―六月八日 七月十四日 戦災
Tactical Mission Report Mission No.183
- 25 May 1945
- <USB-5 Roll No.4>
- 国立国会図書館
- マイクロフィルム
- 原所蔵:米国国立公文書館(RG243)
Mission Summary Mission Number 183
- 25 May 1945
- <USB-15 Roll No.3>
- 国立国会図書館
- マイクロフィルム
- 原所蔵:米国国立公文書館(RG243)