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4-21 戦況の悪化
長崎に投下された原爆による原子雲 『朝日クロニクル週刊20世紀 日本人の100年 』1所収
昭和20(1945)年に入ると、米軍は日本本土への空襲を増すとともに、「伝単」と呼ばれた宣伝ビラや、ハワイ・マニラで作製した日本語の新聞なども空から投下するようになった。文面は、日本国民の厭戦気分を煽ったり戦況の不利を周知させるようなもの、さらに次なる爆撃目標の予告などである。
同年8月6日の広島および9日の長崎への原爆投下は、甚大な被害をもたらした。また8日にはソ連の参戦もあり、日本は8月14日ポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えた。掲出の地図2点は、戦後、経済安定本部が実施した戦争被害調査の関連資料の中に、含まれていたものである。広島、長崎の各々の爆心地を中心とした物的被害状況が記されている。
[米軍投下ビラ]
- [昭和20年7月、8月]
- 憲政資料室収集文書 1235
- 国立国会図書館
広島復興都市計画街路網公園配置図 縮尺二万分ノ一
- 昭和21年12月
- 憲政資料室収集文書 1220
- 国立国会図書館
長崎市全図 縮尺一万分之一
- 憲政資料室収集文書 1221
- 国立国会図書館