ホーム > 第6章 55年体制の形成 > c. 安保闘争前後 > 60年安保
6-13 60年安保
アイゼンハワー 'The Eisenhower Presidential Library and Museum Homepage'所収
国会を取り巻くデモ隊 『昭和 二万日の全記録』第12巻所収(提供 朝日新聞社)
岸内閣は、昭和26(1951)年に締結された日米安全保障条約の不平等性を解消し、日本の自主性を強化するとして、昭和35(1960)年1月19日新安保条約に調印した。野党はこれに強く反対し、社会党の石橋政嗣衆議院議員は日米安保特別委員会で論戦を展開し政府を追及した。審議に備えて用意したノートと質疑原稿は、過去の政府答弁の詳細な事前調査など、緻密な議論の積み上げをうかがわせる。([ノート]新日米安保条約(1)、[衆議院日米安全保障条約等特別委員会質疑原稿](1))
審議をめぐり混乱が続く国会では、衆議院で5月19日、与党が警官隊を導入して50日間の会期延長を可決し、翌20日未明の本会議で新安保条約を承認した。議会の権威を守るためあくまで警官隊導入に反対した衆議院事務総長鈴木隆夫は、所感日記に与野党との緊迫した折衝の模様を記し、事務総長としての苦悩と慨嘆を書き残した。([総長所感日誌])
一方、条約の批准に合わせて、アイゼンハワー米国大統領の訪日が予定されていた。掲出のアイゼンハワー書翰は、岸首相が関係者のサインを刻んだ記念の葉巻入れを贈呈したことへの礼状である。6月16日、死者を出した国会デモの翌日、政府はアイゼンハワーの訪日延期を要請し、結局訪日は実現しなかった。(アイゼンハワー書翰 岸信介宛)
この年3月、社会党委員長に就任した浅沼稲次郎は安保条約改定阻止のため、院内外の闘争の先頭に立った。5月20日未明の強行採決を受けて、審議が空転する中で、社会党は代議士会で議員総辞職の方針を決定し、岸内閣退陣、国会解散を要求した。([国会解散を要求する演説草稿])
浅沼稲次郎の死を悼む 『痛恨の昭和』所収
条約が批准された6月23日岸首相は退陣を表明し、7月19日第一次池田内閣が成立した。10月12日日比谷公会堂での3党首立会演説会で、浅沼委員長は右翼の少年に刺殺された。掲出資料は浅沼が亡くなる5日前に来る総選挙を見据えた社会党の政策を述べたものである。(浅沼委員長大阪談話)
[ノート] 新日米安保条約(1)
- 昭和35年4月
- 石橋政嗣関係文書 72
- 国立国会図書館
[衆議院日米安全保障条約等特別委員会質疑原稿](1)
- 昭和35年5月
- 石橋政嗣関係文書 1
- 国立国会図書館
[総長所感日誌]
アイゼンハワー書翰 岸信介宛
- 昭和35年6月2日
- 岸信介関係文書 19-7
- 国立国会図書館(寄託)
[国会解散を要求する演説草稿]
- 昭和35年6月
- 浅沼稲次郎関係文書 2457
- 国立国会図書館
浅沼委員長大阪談話
- 昭和35年10月7日
- 浅沼稲次郎関係文書(その2) 212
- 国立国会図書館