日本 | GHQ、アメリカ政府、その他 | ||
---|---|---|---|
1939年 |
1939年 |
||
9月1日 | 第二次世界大戦開始。 | ||
1940年 |
1940年 |
||
7月22日 | 第2次近衛文麿内閣成立。 | ||
10月12日 | 大政翼賛会発会式。 | ||
1941年 |
1941年 |
||
7月18日 | 第3次近衛内閣成立。 | 8月14日 | ルーズベルト、チャーチル、「大西洋憲章」を発表(9月24日、ソ連、自由フランスなど15か国が参加を表明)。 |
10月18日 | 東条英機内閣成立。 | ||
12月8日 | 太平洋戦争開始。 | ||
1942年 |
1942年 |
||
1月1日 | 連合国共同宣言調印(26か国参加)。 | ||
2月 | 「戦後対外政策に関する諮問委員会」発足(委員長:国務長官。政治小委員会、領土小委員会など設置)。 | ||
4月30日 | 第21回衆議院総選挙(いわゆる翼賛選挙)。 | ||
5月20日 | 翼賛政治会結成。 | ||
10月 | 国務省特別調査部極東班で日本戦後処理案の研究開始。 | ||
1943年 |
1943年 |
||
1月24日 | ルーズベルト、チャーチル、枢軸国の無条件降伏を要求する「カサブランカ宣言」。 | ||
7月28日 | 国務省極東班、「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」を領土小委員会に提出。 | ||
10月初 | 国務省極東地域委員会が活動開始。 | ||
11月22日 | 米英中、カイロ会談(11月23日にルーズベルトと蒋介石、天皇制について話合い。12月1日、カイロ宣言発表。日本の無条件降伏、台湾返還、朝鮮独立など)。 | ||
1944年 |
1944年 |
||
1月15日 | 国務省内に戦後計画委員会(PWC)設置。 | ||
7月22日 | 小磯国昭内閣成立。 | ||
8月21日 | 米英中ソ、ダンバートン・オークス会議開催(10月9日、国際連合案を発表)。 | ||
12月19日 | 国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC:以下「三省調整委員会」)第1回会合。 | ||
1945年 |
1945年 |
||
2月4日 | 米英ソ、ヤルタ会談(2月11日、ヤルタ協定。ソ連の対日参戦など)。 | ||
2月5日 | 三省調整委員会極東小委員会(SFE)第1回会合。 | ||
3月30日 | 翼賛政治会解消、大日本政治会結成。 | ||
4月1日 | 米軍、沖縄本島への上陸開始。 | ||
4月7日 | 鈴木貫太郎内閣成立。 | ||
4月12日 | トルーマン、大統領に就任。 | ||
5月7日 | ドイツ、連合国に対し無条件降伏。 | ||
5月8日 | トルーマン、日本に対し無条件降伏を勧告。 | ||
6月5日 | トルーマン、極東諮問委員会(FEAC)付託条項を承認。 | ||
6月11日 | 三省調整委員会極東小委員会、初期対日方針に関する原案「SWNCC150」作成。 | ||
6月25日 | サンフランシスコで国連憲章採択。 | ||
7月17日 | 米英ソ、ポツダム会談開催(~8月2日)。 | ||
7月25日 | 佐藤尚武駐ソ大使、ソ連に条件付和平の斡旋を依頼。 | ||
7月26日 | 米英中、「ポツダム宣言」発表。 | ||
7月28日 | 鈴木首相、記者団に対しポツダム宣言黙殺・戦争邁進を表明。 | ||
8月6日 | 広島に原爆投下。 | ||
8月8日 | ソ連、対日宣戦・ポツダム宣言参加。 | ||
8月9日 | 長崎に原爆投下。 | ||
8月10日 | 御前会議、国体護持を条件にポツダム宣言受諾決定。政府、中立国を通じ連合国に申入れ。 | ||
8月11日 | バーンズ国務長官の名で日本政府の申入れに回答。 | ||
8月14日 | 御前会議、ポツダム宣言受諾最終決定、中立国を通じ連合国に申入れ。 天皇、終戦の詔書を録音。 内務省警保局、「治安維持に関する件」通牒。 |
8月14日 | マッカーサー米太平洋陸軍司令官、連合国最高司令官(SCAP)に就任。 |
8月15日 | 正午、終戦の詔書を放送。 鈴木内閣総辞職。 |
||
8月16日 | 天皇、即時停戦下命。 | 8月16日 | スターリン、北海道北部の占領を要求(18日、トルーマンはこれを拒否)。 |
8月17日 | 東久邇宮稔彦内閣成立(副総理格に近衛国務相)。 天皇、陸海軍人に、終戦の決定に従うよう勅語。 |
||
8月18日 | ソ連軍、千島列島の日本軍守備隊に攻撃開始。 トルーマン、「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC70/5)を承認(日本の分割占領を回避)。 |
||
8月19日 | 政府、陸海軍の全部隊に停戦を示達。 | ||
8月20日 | 河辺虎四郎陸軍中将ら全権委員、マニラで降伏文書・一般命令第1号を受領。 | 8月20日 | 英政府、連合国対日管理理事会の設置を提案。 |
8月21日 | 米政府、極東諮問委員会付託条項を英中ソに送付。 | ||
8月23日 | 米政府、英の対日管理理事会設置要求を拒否。 | ||
8月26日 | 終戦連絡中央事務局設置。 軍需省・大東亜省廃止。 |
||
8月28日 | 東久邇宮、記者会見で国体護持と全国民総懺悔を呼びかけ。 閣議、言論・集会・結社の取締方針を治安警察法精神の戦前の状態に戻すことを決定。 |
8月28日 | 米占領軍(第8軍先遣隊)、日本本土進駐開始。米太平洋陸軍総司令部(GHQ/AFPAC。以下、10月2日に至るまで「GHQ」)マニラより横浜に移転。 |
8月29日 | 陸軍省、「初期対日方針」(SWNCC150/3)をマッカーサーに通達。 | ||
8月30日 | マッカーサー、厚木飛行場到着。 | ||
8月31日 | 東久邇宮、新聞紙上で「国民からの意見を政治の参考としたい」との呼びかけ。 | 8月31日 | 国務・陸・海軍長官、修正「初期対日方針」(SWNCC150/4)承認。 |
9月1日 | 第88回帝国議会(臨時会)召集(9月4日開院式。9月6日閉院式)。 内閣調査局設置(綜合計画局廃止)。 |
||
9月2日 | 東京湾の米戦艦ミズーリ上で降伏文書調印。 | 9月2日 | マッカーサー、占領条件に関する「一般命令第1号」の実施を指令。 バーンズ、日本の精神的武装解除と教育改革に関する声明。 |
9月3日 | マッカーサー、重光葵外相と会談、軍政三布告を撤回。 | ||
9月5日 | 東久邇宮、帝国議会で施政方針演説。 | 9月5日 | ソ連軍、千島列島・歯舞諸島の占領を完了。 |
9月6日 | トルーマン、「初期対日方針」(SWNCC150/4)を承認し、マッカーサーに指令するとともに、最高司令官の権限に関してマッカーサーに通達。 | ||
9月8日 | 米占領軍、東京に進駐開始。 | ||
9月9日 | マッカーサー、日本管理方針に関する声明(間接統治、自由主義助長等)。 | ||
9月10日 | GHQ、「言論およびプレスの自由に関する覚書」(検閲開始)。 ロンドン外相会議(米英仏ソ中)開催(~10月2日。旧枢軸国との講和問題などについて協議。極東諮問委員会の設置を決定)。 |
||
9月11日 | GHQ、東条・東郷茂徳ら39名を戦犯容疑で逮捕指令。 | ||
9月13日 | 近衛、マッカーサーを訪問。 大本営廃止。 |
||
9月14日 | 大日本政治会解散。 | 9月14日 | GHQ、同盟通信社を配信停止処分(~9月15日正午)。 |
9月15日 | 東久邇宮、マッカーサーを訪問。 | ||
9月17日 | 重光外相辞任、後任に吉田茂任命。 | 9月17日 | GHQ、東京移転。 |
9月18日 | 東久邇宮、外国人記者団との初会見(憲法修正に関して、内政改革の時間的余裕はないと発言)。 入江俊郎法制局第1部長「終戦と憲法」。 |
9月18日 | GHQ、朝日新聞を発行停止処分(9月19~20日休刊)。 |
9月19日 | GHQ、「プレス・コードに関する覚書」。 | ||
9月20日 | 緊急勅令「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」公布。 | ||
9月22日 | 国務省、「初期対日方針」(SWNCC150/4/A)発表。 GHQ、「ラジオ・コードに関する覚書」。 |
||
9月24日 | GHQ、新聞・通信社に対する政府の統制廃止を指示。 GHQ、戦争犯罪人規程(BC級)発表。 |
||
9月25日 | 大日本弁護士会連合会、司法制度改革案を東久邇宮首相に建議。 | ||
9月27日 | 天皇、マッカーサーを訪問(第1回会見)。 | ||
9月28日 | 宮沢俊義東大教授、外務省において講演「ポツダム宣言に基く憲法、同付属法令改正要点」。 | ||
9月29日 | 各紙、天皇のマッカーサー訪問時の写真を掲載。内閣情報局、これを不敬として発禁処分。 東久邇宮、マッカーサーを訪問。 |
9月29日 | GHQ、天皇のマッカーサー訪問時の写真を掲載した新聞に対する政府の発禁処分の取消しを指示。 GHQ、戦時諸法令廃止指令。 |
9月30日 | 大日本産業報国会解散。 | ||
10月1日 | 終戦連絡中央事務局官制改正公布(外相の管理下に各省の連絡を緊密化)。 | 10月1日 | GHQ、「郵便検閲に関する覚書」。 |
10月2日 | 連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)設置(民政局など幕僚部9局設置)。 | ||
10月3日 | 山崎巌内相、「治安維持法に基づく共産主義者の検挙継続」と発言。 | ||
10月4日 | 近衛、マッカーサーと会談し、憲法改正の示唆を受ける。 | 10月4日 | GHQ、「自由の指令」(内相らの罷免、思想・言論規制法規の廃止、特高の廃止、政治犯の釈放等)。 政治顧問アチソン、国務省に対し、憲法改正問題に関する指示要請の打電。 |
10月5日 | 東久邇宮内閣総辞職。 | ||
10月6日 | 特高警察廃止。 | ||
10月8日 | 近衛、高木八尺東大教授らとともに、アチソンと会談し、憲法改正の論点につき示唆を受ける。 | ||
10月9日 | 幣原喜重郎内閣成立。 | 10月9日 | GHQ、東京5紙(朝日、毎日、読売、東京、日本産業)に新聞事前検閲を開始。 |
10月10日 | 松本烝治国務相、初閣議で憲法改正問題について発言。 政治犯釈放。出獄した徳田球一・志賀義雄ら、「人民に訴ふ」発表。 |
10月10日 | アチソン、近衛への私的な示唆について国務省に通知。 |
10月11日 | 閣議、治安維持法および関連法令の廃止決定。 近衛、内大臣府御用掛に任命。 幣原、マッカーサーを訪問し、憲法の自由主義化の示唆および人権確保の五大改革指令を受ける。 |
||
10月13日 | 各紙、天皇の下問を受け近衛らが憲法改正作業開始と報道。 幣原・松本、近衛と会見し、内大臣府の憲法改正作業に対し抗議。 佐々木惣一元京大教授、内大臣府御用掛に任命。 臨時閣議、憲法改正のための研究開始を決定(担当大臣松本)。 国防保安法・軍機保護法・言論出版集会結社等臨時取締法などの廃止の件公布。 |
||
10月15日 | 近衛、外国マスコミと会見し、憲法改正構想につき談話。 松本、憲法改正は内閣の責任と談話。 治安維持法・思想犯保護観察法などの廃止の件公布。 海軍軍令部廃止。 |
||
10月16日 | 宮沢、毎日新聞で近衛の改正作業を批判。 日本社会党設立委員会、内大臣府および政府の作業を批判。 |
||
10月17日 | アチソン、国務省より、憲法改正の基本的事項のアウトラインにつき訓令を受領。 | ||
10月20日 | 美濃部達吉東大名誉教授、朝日新聞連載(~10月22日)で憲法改正不急論を主張。 | ||
10月21日 | 近衛、外国マスコミに対し、GHQへの憲法草案提出および天皇の退位問題に言及。 佐々木、毎日新聞で内大臣府の作業への批判に対して反論。 |
||
10月22日 | GHQ、「教育制度の運営に関する覚書」(軍国主義的・国家主義的教育の禁止、代議政治・国際平和・基本的人権のための教育を奨励)。 | ||
10月23日 | 幣原、近衛の21日の発言に対し訂正を申入れ。 | ||
10月24日 | 松本、近衛と会見し、21日の発言に対して抗議。 近衛、記者団に対し21日の発言につき釈明。 佐々木、京大名誉教授の称号を受ける。 |
10月24日 | 国連憲章発効、国際連合が正式に成立。 |
10月25日 | 憲法問題調査委員会を設置。松本委員長、「直ちに改正案の起草に当たることは考えていない」と談話。 日本自由党、党名正式決定とともに綱領5項目決定。 |
10月25日 | 政治顧問部、高木らに対し10月8日の近衛への提案の補足説明。 |