年表

詳細年表 4 1946年4月22日~1946年11月25日

日本 GHQ、アメリカ政府、その他

1946年
 
1946年
 
4月22日 幣原内閣総辞職。
枢密院、憲法改正草案第1回審査委員会(5月15日まで8回開催)。
   
4月23日 幣原、進歩党総裁就任。    
4月26日 高野、NHK会長に就任。    
4月30日 鳩山、自由党単独組閣の方針を決定。    
5月3日 松本、枢密院で「政府としては原案を修正し得ず」と発言。 5月3日 極東国際軍事裁判開廷(東条ら28名、A級戦犯として起訴)。
5月4日 外務省「憲法草案要綱に関する内外の反響(其の二)」作成。 5月4日 GHQ、鳩山公職追放の旨を政府に通達。
    5月13日 極東委員会、新憲法採択の3原則を決定(審議のための充分な時間と機会、明治憲法との法的連続性、国民の自由意思を明確に表す方法による新憲法採択)。
5月14日 吉田、自由党総裁就任受諾。    
5月16日 第90回帝国議会(臨時会)召集(6月20日開院式、10月12日閉院式)。
吉田茂に組閣命令。
   
5月19日 食糧メーデー、プラカード事件。    
    5月20日 マッカーサー、食糧メーデーに関し「暴民デモ許さず」と声明。
    5月21日 GHQ、「皇族の財産上の特権等廃止に関する覚書」(5月23日発表)。
5月22日 吉田内閣成立(第1次)、このため枢密院に諮詢中の憲法改正草案を一時撤回。    
5月24日 天皇、食糧事情に関し「家族国家の伝統に期待して食糧難克服」と録音放送。
協同民主党発足(委員長山本実彦)。
   
5月27日 政府、憲法改正草案に若干の修正を加えて枢密院に再諮詢。    
5月29日 枢密院、草案審査委員会再開(6月3日まで3回開催)。枢密院で吉田、議会での修正可能と言明。 5月29日 国務省、4月10日極東委員会決定を拒否するマッカーサーの回答を極東委員会FECに回送。
6月1日 民主主義科学者協会第2回総会(~6月2日。憲法改正審議は帝国議会ではなく、特別の機関を設置して行うべき旨を決議)。    
    6月4日 極東委員会、天皇制存続の可否に関して討議。
6月8日 枢密院本会議、天皇臨席の下で憲法改正草案を起立多数により可決(美濃部顧問官、起立せず)。    
    6月9日 警察制度改革に関するバレンタイン調査団報告発表(警察の地方分権化、民衆化など)。
    6月11日 三省調整委員会、「新憲法採択に関する米国の方針」決定(SWNCC228/3。憲法制定議会または国民投票による憲法制定を示唆)。
6月12日 占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する件公布。    
    6月18日 キーナン極東国際軍事裁判所米主席検事、ワシントンにおいて、天皇を戦争犯罪人として訴追しないと言明。
6月19日 金森、憲法問題担当国務相就任。    
6月20日 第90回帝国議会開院式(開院式勅語、初めて口語体となる)。「帝国憲法改正案」を衆議院に提出。    
    6月21日 マッカーサー、議会での憲法審議につき極東委員会の新憲法採択の3原則を含む声明発表。
6月22日 東京地検、プラカード事件の被疑者を不敬罪で起訴。    
6月25日 「帝国憲法改正案」を衆議院本会議に上程(本会議、28日まで)。    
6月26日 衆議院、憲法改正第一読会。吉田、衆議院で「9条は自衛戦争も放棄」と答弁。    
6月27日 金森、国体の捉え方について独自のコメント(「あこがれ天皇論」)。    
6月28日 野坂、衆議院で「自衛権の確保・侵略戦争放棄」の質問。
衆議院帝国憲法改正案委員会設置(「帝国憲法改正案」を付託。委員長芦田均。8月21日まで21回開催)。
共産党、「日本人民共和国憲法草案」決定(29日発表)。
   
7月2日 黒田寿男、衆議院憲法改正委で「社会国家の理念・生存権規定の必要性」発言。 7月2日 極東委員会、「日本の新憲法についての基本原則」を決定(主権在民、天皇制の廃止または民主的改革、閣僚のシビリアン要件など)。
7月3日 臨時法制調査会、司法法制審議会設置。    
    7月6日 統合参謀本部、7月2日極東委員会決定をマッカーサーに指令(マッカーサー、同決定の発表を抑えるよう要請)。
7月16日 衆議院本会議、全会一致でマッカーサーに対する感謝決議採択。
GHQ政治顧問コールグローヴ、憲法改正委を訪問、芦田委員長より歓迎を受ける。
   
7月17日 金森、総理大臣官邸でケーディスと会談(主権在民の明記など憲法の文言に対する示唆を受ける)。    
7月23日 衆議院、小委員会設置(25日から8月20日まで13回開催)。    
7月29日 小委員会で第9条のいわゆる「芦田修正」提示。    
8月10日 教育刷新委員会発足。    
8月12日 経済安定本部発足。    
    8月15日 極東委員会、日本の民事・刑事裁判権が国連構成国の国民に及ばない旨決定。
8月16日 小委員会の修正案ほぼ固まる。    
8月17日 小委員会の皇室財産条項修正案に対し自由党内より反発、樋貝詮三衆院議長らが吉田に申入れ。    
    8月19日 マッカーサー、シビリアン条項の導入を求める極東委員会の意向を吉田に伝える。
8月21日 衆議院憲法改正委、小委員会の各派共同修正案可決。
衆議院本会議、樋貝議長の行動を越権行為として不信任決議案提出、翌日否決。
   
8月23日 樋貝議長辞任(後任山崎猛)。    
8月24日 尾崎行雄、衆議院本会議で「良い憲法を作ることは容易だが行うことは難しい」と演説。
衆議院本会議、委員会修正案のとおり「帝国憲法改正案」を修正可決、貴族院に送付。
   
8月26日 貴族院本会議に修正「帝国憲法改正案」を上程(本会議・30日まで)。
宮沢、貴族院本会議で金森の国体・天皇問題についての説明を批判。
   
8月27日 南原繁、貴族院本会議で政府の改正手続きを批判。    
    8月28日 マッコイ極東委員会議長、憲法付属諸法の制定にも極東委員会が関与すべきことを表明。
8月30日 貴族院帝国憲法改正案特別委員会設置(委員長安倍能成。9月2日から10月3日まで)。    
    9月21日 極東委員会、第9条修正問題とシビリアン要件につき議論。
    9月24日 ホイットニー、吉田を訪問し、普通選挙制および国務大臣のシビリアン規定の追加を指示。
    9月25日 極東委員会、憲法問題に関する追加政策決定(シビリアン要件の確認、参議院の衆議院に対する優越性の不保持)。
9月26日 貴族院、小委員会設置(28日から10月2日まで。10月2日に修正案可決)。    
9月27日 労働関係調整法公布。    
10月3日 貴族院特別委、「帝国憲法改正案」修正可決(普通選挙制、両院協議会、文民条項追加)。    
10月5日 佐々木、貴族院本会議で改正案全面反対を主張。    
10月6日 貴族院本会議、委員会修正案のとおり「帝国憲法改正案」を修正可決し、衆議院に回付。    
10月7日 衆議院、貴族院回付案を可決。    
    10月9日 GHQ、検察当局の不敬罪被疑者不起訴決定は、新憲法精神の適用と声明。
10月12日 第90回帝国議会閉院式。
「修正帝国憲法改正案」を枢密院に諮詢(19日と21日に審査委員会)。
   
10月16日 天皇、マッカーサーに対し、新憲法成立は「喜びにたえない」と表明。    
    10月17日 極東委員会、日本国憲法施行後の再検討について政策決定。
10月21日 農地調整法改正法公布、自作農創設特別措置法公布(第2次農地改革)。    
10月26日 臨時法制調査会、主要法案要綱を答申。    
10月29日 枢密院本会議、天皇臨席の下で「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決(美濃部など2名欠席)。天皇、憲法改正を裁可。    
    11月1日 マッカーサー、10月17日極東委員会決定の公表に反対の旨を回答。
11月3日 日本国憲法公布。貴族院議場で「日本国憲法公布記念式典」挙行。「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」開催。 11月3日 マッカーサー、日本国憲法公布に際して日本国民に対しメッセージを発表。
11月4日 芦田、新憲法についてのラジオ演説。 11月4日 ウィリアムズ民政局国会課長、山崎衆議院議長に対し国会法の制定につき11項目の指示。
11月25日 第91回帝国議会(臨時会)召集(11月26日開院式、12月26日閉院式)。    
Copyright©2003-2004 National Diet Library All Rights Reserved.