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3-1 2個師団増設問題
上原勇作 明治41年 『元帥上原勇作伝』上巻所収(国立国会図書館デジタルコレクションへ)
衆議院門前に集まる群集 大正2年2月5日 『目で見る議会政治百年史』所収
本史料は大正2(1913)年度予算の閣議を前にして、山県を経由して陸軍要路に向けて出された意見書と、それを桂に転送した際の上原勇作の書翰である。
第2次西園寺内閣末期は陸軍の2個師団増設、海軍拡張、行政整理など財源をめぐって閣内対立が深刻化していた。また、陸軍内でも増師要求に温度差があった。山県や寺内は最終的には政友会との妥協を考えていたのに対して、政治的逼塞を余儀なくされていた桂はこの問題を利用して政界復帰を図ろうとし、上原に増師を強硬に主張することを求めていたのであった。
そうした中で、陸軍内の歩調を整えるよう求めたのがこの意見書である。しかし、陸軍内の足並みが揃わない中、上原陸相は、大正元(1912)年11月30日の閣議で増師を要求した。閣議の結果、増師計画が採用されず、上原陸相は単独で辞職する。そして、陸軍が後任陸相を推薦しなかったため、12月5日に第2次西園寺内閣は総辞職した。