ホーム > 第3章 大正デモクラシー > c. 政党政治の時代 > 関東大震災
3-11 関東大震災
震災後の日本橋通り 大正12年頃 『関東大震災記念』所収
内濠日比谷埋立道路(丸の内凱旋道路)の地割れ 大正12年頃 国立科学博物館地震資料室ウェブサイト
大正12年9月1日11時58分に関東地方南部を大きな地震が襲った。家屋倒壊などの直接的な被害に加え、東京や横浜などでは火災により甚大な被害がもたらされた。当時、枢密顧問官兼帝室会計審査局長官であった倉富勇三郎の日記には、地震発生直後、勤務先の皇居から坂下門へ向かい、赤坂区丹後町(現港区赤坂四丁目)にあった自宅まで帰宅した際の様子が記されている。
なお、朝鮮人が暴動を起こすとの流言が地震直後から広まり、朝鮮人、中国人、日本人が虐殺される事件がおきたほか、暴動の扇動を理由に社会主義者らが検挙された。
大正十二年日記
- 大正12年9月1日
- 倉富勇三郎関係文書 5-8
- 国立国会図書館