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第3章 大正デモクラシー

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c. 政党政治の時代

3-12 第2次護憲運動

[犬養毅・高橋是清・加藤高明・尾崎行雄写真] 「憲政資料室収集文書」 1229
[犬養毅・高橋是清・加藤高明・尾崎行雄写真] 「憲政資料室収集文書」 1229

虎の門事件で総辞職した第2次山本内閣の後を受けて、大正13(1924)年1月に枢密院議長であった清浦奎吾に組閣の大命が下った。その間の経緯を清浦内閣に内相として入閣した水野錬太郎が手記に表している。

一方、憲政会、政友会、革新倶楽部のいわゆる護憲三派は清浦内閣を支持せず、第二次憲政擁護運動を展開して清浦内閣を攻撃した。

同年5月の総選挙で護憲三派が圧勝し、6月7日に清浦内閣は総辞職した。その結果、第一党の憲政会総裁加藤高明を首班とし、政友会総裁高橋是清、革新倶楽部党首犬養毅も入閣する護憲三派内閣が成立した。以後、5.15事件で犬養内閣が倒れるまでの足掛け8年間政党内閣の時代が続いた。

清浦内閣成立ノ顛末

『清浦内閣成立ノ顛末』
  • 大正13年1月
  • 水野錬太郎関係文書 53
  • 国立国会図書館(寄託)
  • 「清浦内閣成立並ニ辞職顛末・枢密顧問官就任辞退ノ経緯」所収
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