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6-7 保守合同
自由民主党結成大会 『毎日グラフ』第290号所収
鳩山首相は昭和30(1955)年1月24日衆議院を解散した。総選挙の結果、民主党は大幅に躍進し第一党になったが、過半数には程遠く、また左派社会党勢力の伸長と社会党左・右両派合同の動きを受け、経済界などからも保守合同を期待する声が高まり、4月には民主党の三木武吉が保守合同積極論を表明した。
芦田均は日記に、三木が保守合同に障害となるものとして、「鳩山の態度決心、自由党吉田派、民主党内の革新派」の三つを挙げたことを記している。
結局保守合同は、11月15日の自由民主党結成大会で実現した。大会では、4人の総裁代行委員を選出し、翌年4月に鳩山一郎を総裁に選出した。自由民主党結成当日、吉田茂は、新党には当面参加しない旨を腹心の林譲治と池田勇人に宛て書き送った。(昭和31年2月1日自民党に入党)
総裁代行委員の4人、左から緒方竹虎、大野伴睦、鳩山一郎、三木武吉 『自由民主党五十年史』上巻所収
[日誌] 昭和三十年三月下旬至同年九月十五日
- 昭和30年8月19日
- 芦田均関係文書 25
- 国立国会図書館(寄託)
新党結成大会議案
- 昭和30年11月15日
- 芦田均関係文書 415
- 国立国会図書館(寄託)
吉田茂書翰 林譲治・池田勇人宛
- 昭和30年11月15日
- 林譲治関係文書 34-17
- 国立国会図書館(寄託)