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5-11 労働運動
日本労働組合総評議会結成大会 昭和25年7月11、12日(ポスター) 法政大学大原社会問題研究所 大原社研デジタルミュージアム 戦後ポスターデータベース画像
昭和20(1945)年12月、労働組合法が制定され、多くの労働組合が組織された。しかし、冷戦に伴う占領政策の転換により、GHQや日本政府による労働運動への圧力が次第に強まり、昭和23(1948)年7月、マッカーサー書翰に基づく政令201号により、公務員の団体交渉権・争議権が否認された。
翌年6月、国鉄の公共企業体への移行に際し、定員法による大量行政整理が行われ、9万人近い職員の解雇が発表された。国鉄労働組合は、人員整理反対闘争の準備を進めたが、7月に相次いで起こった下山事件、三鷹事件の影響で、闘争は終息し、人員整理はほぼ予定通り実施された。
こうした中、労働運動に、これまでの左派に対抗する民主化同盟(民同)などの新たな潮流が登場し、労働組合の分裂が進んだ。そして、昭和25(1950)年7月、民同を中心として、日本労働組合総評議会(総評)が結成された。総評は、組織労働者のほぼ半数をその傘下に収める組織となり、以後、戦後労働運動の中核を担う勢力となった。
なぜ首切に反対するのか
- 昭和24年5月12日
- 浅沼稲次郎関係文書 1978
- 国立国会図書館
結成大会議案書
- 昭和25年7月11日~12日
- 浅沼稲次郎関係文書 1987
- 国立国会図書館
- 「総評結成大会関係資料」所収