第2部 トピックで見る

4. 海外知識の受容
(1)異国を知る (1)

本章では、一般的啓蒙的な著作を中心に、海外知識の受容の一端を紹介する。

概説書

「鎖国」というとあらゆる情報から閉ざされていたような印象があるが、必ずしもそうではなく、一般書の中にも世界への眼が開かれていた。

紅毛談おらんだばなし

2巻 後藤光生著 明和2(1765)序刊 2冊(合1冊) <209-123>

  • 「紅毛談」

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18世紀前半、徳川吉宗の治世に蘭学が芽生え、オランダをはじめとする海外への興味関心が高まり、やがて一般向けの著作も出版されるようになった。本書はその初期のもので、オランダの風俗、地理、動植物等について述べたもの。エレキテルをはじめて紹介したことでも知られる。『蘭学事始』には、アルファベットを載せたために絶版を命じられたと紹介されているが事実ではないらしい。著者の後藤光生(梨春1696-1771)は本草学者。

紅毛雑話

5巻 森島中良編 大阪 河内屋仁助〔ほか11名〕 天明7(1787)序刊 2冊 <特1-1921>

著者の森島中良(1754-1810)は幕府奥医師桂川甫周の実弟で、医師・戯作者・狂歌師などとして幅広く活動した。本書は甫周がオランダ人に面会して得た新知識を、一般向けにわかりやすく紹介している。中良自身の筆になる「ダラーカ図」ツュンベリーからもらったトカゲを描いたもの。バドミントンのシャトル、ラケットの絵もある。顕微鏡で見たものの図(司馬江漢画)は、米や芥子など実際に観察したもののほか、スワンメルダムの著書を写したものもある。蚊の絵は草双紙の挿絵や錦絵にも描かれた。「人物活動之式」はライレッセの『大画法書』から引用する。

紅毛雑話

5巻 森島中良編 天明7(1787)序 後印 5冊(合1冊) <211-70>

  • 「紅毛雑話」

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この本では題箋書名を『名勝図会阿蘭陀紀聞』とし、オランダ船の絵や「むしめがね 飛行船 水からくり エレキテル」といった、今日でいうキャッチコピーで読者を惹きつけている。

コラム:紅毛人の給金

「紅毛雑話 5巻. [2]」

『紅毛雑話』を読むと、日本人が好奇心旺盛にオランダ人にさまざまな質問をし、答えてもらっていたことがよくわかる。中には「紅毛人の給金」という項目もあり、諸国に来るオランダ商人の給金は莫大で、日用の分以外は「ゼネラル」(頭役)が預かって貸付の元金とし、無事帰国すれば利息とともに支払われ、「海中にて溺れ死すれば」、息子が相続するという興味深い話を紹介している。これは大槻玄沢(次項及び蘭学者の章参照)が聞いた話だという。

コラム:チャタテムシ

「紅毛雑話 5巻. [2]」

『紅毛雑話』収載の顕微鏡で見た虫の図は有名であるが、その中にはよく紹介される蚊やボウフラ以外に「茶立虫」の図もある。チャタテムシは書物の糊などを食べる害虫で、当館で実施している防虫対策のトラップ調査でも発見されることがある(→トラップ調査の報告はこちら)。『紅毛雑話』には「鼻の先に撥の形の角あり、是をもって紙をかくなり」とあり、昔から書物につく虫として知られていたことがわかる。

蘭説弁惑

2巻 大槻玄沢述 有馬文仲記 勢州 山形屋東助 寛政11(1799)刊 1冊 <特1-2992>

本書は大槻玄沢が門人たちの問いに答えたものの筆記。附言に「数数云あやまり、聞あやまりたる惑ひを、あらあら弁じ給ふたるにこそ」とあるように、オランダ人は短命であるなど、蘭学の普及に従って生じた誤りを正す内容で、『蘭畹摘芳』の普及版ともいえる。この画像はガラス器、更紗についての部分で、「こっぷ」「ふらすこ」「びいどろ」はどう区別するか、といった質問に、「びいどろ」はポルトガル人が伝えた名称で、オランダでは「がらす」という、などと玄沢が答えている。

世界地図

世界がどういう姿をしているのかを描くことは、世界をどう把握していたかの表れである。科学的な世界地図も意外に普及していたようだ。

万国総図

京都 林次左衛門 寛文11(1671)刊 1舗 <WA46-2>

我が国で最初に刊行された世界地図は正保2年(1645)のものである。本図はそれを通俗化したもので、序文や地図中の漢字にはふりがなが施されている。このような世界地図と民族図譜は、次項にあるように節用集にも収録され、一般化した。これらの図像はオランダ経由のブラウの地図よりも、それより前のポルトガルとの交易時代にもたらされた西洋地図や中国からもたらされたマテオ・リッチ(Matteo Ricci, 利瑪竇 1552-1610)の世界図に由来するものと考えられる。

大福節用集大蔵宝鑑

京都 梅村市兵衛 宝暦11(1761)刊 1冊 <特2-676>

節用集は室町時代に成立した国語辞書。江戸時代に入ってからは各版元の工夫により内容が大幅に増補され、家庭百科事典として広く用いられた。本書も辞書部分以外に年中行事や家紋等の実用知識の部分があり、日本之図、京之図等のほか『万国総図』を踏襲した世界地図と民族図譜がある。日本人の海外渡航は厳禁されていたので、外国に実際に行けるわけではなく、多くの人にとっては実在のものというより空想の世界に近いものだったにせよ、京都や江戸の地図と並んで世界地図を載せた本が一般家庭に普及していたことは興味深い。節用集の中の世界地図は、元禄時代(1688-1703)から見られる。

  • 「大福節用集大蔵宝鑑」(1コマ目)

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  • 「大福節用集大蔵宝鑑」(2コマ目)

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地球全図

司馬江漢写并刻 〔寛政6(1794)頃〕刊 銅版筆彩 1舗 <亥二-53>

司馬江漢(1747-1818)による我が国最初の銅版世界地図で、地球が球体であることがはっきりわかるような図様になっている。初版は『輿地全図』と題されて寛政4年(1792)に出版された。以後刊記をそのままに改題増補され、『地球全図』としては少なくとも4種の刊本がある。本書は欄外の風景動植物図が追加された第3版。司馬江漢は画家だが、平賀源内の影響で蘭学に関心を持ち、日本初の腐食銅版画の製作や西洋科学知識の紹介に力を注いだ。