第2部 トピックで見る

1. 来日外国人の日本研究 (1)

400年の交流の中で、多数のオランダ人、オランダに雇われたヨーロッパ人が日本に滞在した。商館長や医師などには、日本滞在の体験や日本研究の成果を著作として残した人々もいる。ここでは、そのうちの何人かを、それぞれの業績とその翻訳、交流があった日本人の資料を通じて紹介する。

カロン

フランソワ・カロン(François Caron, 1600-1673)

ブリュッセル出身のフランス人。オランダ東インド会社に雇われて元和5年(1619)平戸商館に来て以来、寛永18年(1641)まで滞日。日本語に通じ通訳として活躍、寛永16年(1639)には商館長になった。カロン滞日中は、台湾事件や平戸商館の閉鎖などの摩擦があったが、冷静な対応で日蘭貿易確立に尽力した。

Caron, F.: Beschrijvinge van machtigh Koninckrijcke Japan.

Amsterdam: J. Hartgers, 1649. 1 v. <貴-6426>

本書『日本大王国志』は、1636年に商務総監フィリップス・ルカスの質問にカロンが答えたもので、ヨーロッパにおける日本紹介の初期文献の一つ。この画像は、オランダ東インド会社から3代将軍徳川家光に献納された銅の燭台が、寛永13年(1636)日光東照宮に供えられたことを記した部分で、この燭台は現存する。真鍮細工師ヨースト・ヘリッツゾーン(Joost Gerritszoon, 1598-1652)の作である。外交官都築馨六旧蔵。

日光山志

10巻 植田孟縉編 文政7(1824)序 写 10冊 <ろ-33>

オランダ東インド会社が献納した燭台等については、200年後の日光の地誌にも記されている。この画像は灯篭の銘文と燭台の図の部分。編者の植田孟縉(1758-1844)は八王子千人同心で「日光火の番」として日光に出向いている。郷土史家でもあり『武蔵名勝図会』『浅草寺旧跡考』などの著作がある。天保の改革を推進した老中水野忠邦旧蔵。

ケンペル

エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651-1716)

ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。オランダ東インド会社の医師として元禄3年(1690)来日。商館長に随行し、2度江戸参府し、1692年に離日。通詞今村英生の協力を得て、日本のさまざまな情報を収集した。

ケンペルの肖像
(Kaempfer, E.: The history of Japan. より)

Kaempfer, E.: Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum.

Lemgoviae: H. W. Meyeri, 1712. 1 v. <別-47>

本書『廻国奇観』はケンペル存命中に刊行された唯一の著作(ラテン語)。ペルシャを主とするアジア諸国の博物学的記述で、第5編が日本植物誌となっているほか、漢方、鍼灸等についても記されている。『鎖国論』『異人恐怖伝』参照の元となった論文も掲載。植物分類学者牧野富太郎旧蔵。

  • 「Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum」(3コマ目)

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Kaempfer, E.: The history of Japan.

London: T. Woodward, 1728. 2 v. <WB31-18>

ケンペルの『日本誌』は、日本の歴史、地理、動・植物、政治、宗教、長崎と貿易、参府旅行の記録等から成り、ヨーロッパではじめて体系的に日本を紹介した著作。ドイツ語の原稿からまず英語版が出版された。ケンペルの日本滞在時は5代将軍徳川綱吉の治世、元禄時代にあたり、参府旅行記には泰平を謳歌し、街道を旅する人々の姿も生き生きと描かれている。外交官塩田三郎旧蔵。

  • 「The history of Japan」(1コマ目)

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訓蒙図彙

20巻 中村惕斎編 山形屋 [江戸前期刊] 14冊 <わ031-47>

  • 「訓蒙図彙」

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京都の儒者中村惕斎(1629-1701)による日本初の図解百科事典。子どもや初学者でもわかりやすいよう、写実的な大きな図に和名、漢名と説明を付している。寛文6年(1666)に初版が出て以来、増補改訂を加えつつ版を重ねた。ケンペルは『訓蒙図彙』を持ち帰り、『日本誌』の挿絵に利用した。現在英国図書館が所蔵するケンペル旧蔵書も本書と同じく1ページに4図が入り、上部説明の枠の縦線が円弧になっている版である。

Kaempfer, E.: De beschryving van Japan.

Amsterdam: A. van Huyssten, 1733. 1 v. <蘭-664>

ケンペル『日本誌』のオランダ語版。日本には18世紀末にはすでにもたらされており、弘化年間(1844-47)には箕作阮甫ら幕府天文方により全訳もされたがその原稿は現存しない。476ページから『鎖国論』『異人恐怖伝』参照の元となった論文が始まる。本書は江戸幕府旧蔵書で、見返しの貼紙には「右筆」(ゆうひつ。文書事務担当者)とある。当館は江戸幕府旧蔵のオランダ語版『日本誌』を計5本所蔵する。

  • 「De beschryving van Japan」(3コマ目)

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  • 「De beschryving van Japan」(1コマ目)

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西洋人検夫児日本誌せいようじんケンペルにほんし

三宅友信訳 天保3(1832) 自筆 1冊 <寄別14-26>

三宅友信(1806-1886)は三河田原藩主の庶子。藩財政窮乏により富裕な姫路藩主の子が藩主として迎えられたため、友信は隠居することになった。当時、側用人であった渡辺崋山の勧めで蘭学を学び、多くの蘭書を蔵した。本書はケンペル『日本誌』の最初の部分(バタビアからシャムへの旅行)を翻訳したもの。崋山からの没収本とともに伝わったもので、崋山旧蔵と思われる。旧幕府引継書

異人恐怖伝

検夫爾著 志筑忠雄訳 黒沢翁満編 嘉永3(1850)刊 3冊 <121-221>

  • 「異人恐怖伝」

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『廻国奇観』に収められ、『日本誌』の附録ともされたケンペルの論文「日本王国が最良の見識によって自国民の出国及び外国人の入国・交易を禁じていること」は、オランダ通詞志筑忠雄(1760-1806)によってオランダ語版『日本誌』から抄訳され、『鎖国論』の名で写本が広く流通した。ケンペルの趣旨は、日本が鎖国をするのは理があり、国民は平和に幸福に暮らしている、という好意的なもので、幕末に開国を求める外圧が強まった時期には『異人恐怖伝』というタイトルで出版もされた。編者である国学者黒沢翁満(1795-1859)は「御国の勝れて強く尊く万の国に秀たる事を、今の人に悟らしむる」ために刊行したという(巻末「刻異人恐怖伝論」)。