国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

東芝の再建
――石坂泰三の決意

コラム

太平洋戦争は日本の民間企業の活動にも大きな影響を与えました。株式会社東芝(当時は東京芝浦電気株式会社)もその一つです。

東芝はその前身である芝浦製作所と東京電気の時代から、アメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE社)による資本参加と技術供与のもとで発展してきましたが、戦争によって両社の関係は途絶してしまいます。また、太平洋戦争末期の東京・横浜・川崎の空襲によって、主力工場が壊滅的な被害を受けました。

加えて、戦後初期には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)により労働組合の積極的な育成方針が採られたことで、労働組合の結成が進みます。敗戦後の混乱した経済状況を背景に、賃上げ運動や人員整理反対闘争が激化するなか、多くの企業がそれらへの対応を迫られますが、東芝も例外ではありませんでした。

このような状況の中、昭和24(1949)年4月に東芝の社長に就任した石坂泰三は、就任から約半年が経った同年9月4日、ノートの中で次のように振り返っています。

私は東芝ノ再建問題ヲ次ノ四段階ニ考ヘテ着手シタ。
第一段階 人員整理
第二段階 本社機構の改革及幹部の更迭
第三段階 経理面整理(資金計画)
第四段階 I.G.E.トノ交渉及調整
以上ノ計画ニ基イテ第一段階ノ人員整理ニ着手シタノハ七月ノ初メカラデアッタガ、コノ一番難事業トシテ世間ノ注視ノ的トナッタ整理モ存外順潮ニ運ビ、少クトモ三ヶ月位ハ相当混乱ヲ予想シテ置ッタガ一ヶ月デ略見通シガツク程度ニ進捗シタ。

昭和24年9月4日条 「重要S、24東芝争議」【石坂泰三関係文書135】

ここで人員整理を「一番難事業」としているように、石坂が取締役として東芝に入った昭和23(1948)年は、ストライキ等の労働争議が続発し、一部では暴力事件が発生するなど、労使間の対立が激しさを増していました。その頃の様子を石坂は昭和24(1949)年1月の日記のなかで次のように記しています。

昭和24年1月19日条 「[日記帳]」【石坂泰三関係文書132】の画像
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東芝では、如何ういう訳か役員会を会社で開かず、交詢社とか日本クラブとか、工業倶楽部とか鉄道協会とか、転々として変わって歩いているので、自分の席へ戻る閑がない。これは幹部が組合に押しかけられるのを廻避するためだと思うが、少し馬鹿げているように思われる。費用と時間の浪費で、社員は役員に合う事も出来ず、私でさえも誰が何処にいるか判らない。東芝の欠陥は経営陣の不統一にある事は世評の通りで、労働問題もさる事ながら、先第一に改善せらるべきは経営陣の改善である事が痛感される。

昭和24年1月19日条 「[日記帳]」【石坂泰三関係文書132】

石坂は、過激な組合交渉から逃れるために役員会が様々な会場を転々としている有り様を「少し馬鹿げている」と評し、組合に向き合わないそうした経営陣の態度こそ、第一に改めるべきものだと考えました。

「先第一に改善せらるべきは経営陣の改善である」との言葉どおり、石坂は社長への就任が決まると、労働組合側と正面から向き合う態度を示します。当時の労働組合委員長石川忠延が後に語った逸話によれば、石坂は社長就任が決まった後、突然に労働組合事務所へ「この会社の再建が私の仕事です。ざっくばらんに話し合いましょう。」と挨拶をしに来たそうです。

社長就任後の6月には「全東芝従業員諸君に告ぐ」と題した文書で東芝の窮状を詳細に説明して従業員の協力を求め、7月から経営合理化に関する労働組合連合会との交渉を開始します。こうした石坂の確固たる意思のもと、「一番難事業」とされた人員整理も、8月までにほとんど完了するに至りました。

石坂は社長就任時に日記に意気込みを記していました。

昭和24年4月4日条 「[日記帳]」【石坂泰三関係文書132】の画像
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この改造は相当思い切ったものであり、大東芝の重役陣は一段の寂寥を感じたが、これは已むを得ざるものであり、私の責任は甚重大となった次第である。これは東芝の現状を知る者から見れば可なりReckless attemptとも思はれるものである。殊に軽電干[関]係に於ては一入(ひとしお)力の足らざるを思はしめるものがあるが、さらばと云ってここ迄来なければ内外に対して私の入社の意義を滅却するものであり、私にとっては悲凄の感すら抱かしめるものであるが、これこそ一生の、且最後の努めと思って敢行した次第である。しかしながら前途に横はる難問題は山積してゐるので、果してこの難関を打開出来るかは中々容易の事ではない。蓋し東芝の歴史に於て特筆すべき頁を綴るものであらう。

昭和24年4月4日条 「[日記帳]」【石坂泰三関係文書132】

入社の意義を自覚し、「最後の努め」との覚悟を持った石坂のもと、残る再建課題であった組織改編、経理の正常化、GE社との関係回復を実現させ、石坂の言葉どおり「東芝の歴史に於て特筆すべき頁」を後世に残すこととなりました。

参考文献

  • 城山三郎『もう、きみには頼まない : 石坂泰三の世界』(文春文庫)文芸春秋, 1998【KH561-G43】
  • 武石和風『堂々たる人 : 財界総理・石坂泰三の生涯』(講談社文庫)講談社, 1987【GK63-57】
  • 東京芝浦電気株式会社総合企画部社史編纂室編『東京芝浦電気株式会社八十五年史』東京芝浦電気, 1963【540.67-To456t】