しおのやせいこう1809年~1867年
嘉永己酉之秋、従公居本府、十月九日、請浴米沢之赤湯、意在問鷹山公之遺跡也。
塩谷世弘 1849年
米沢紀行 嘉永2年 【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2670】
文化6(1809).4.17東京生まれ。号は宕陰(とういん)。16歳で昌平黌に入学、松崎慊堂に師事。水野忠邦の天保改革の際、顧問となる。文久2(1862)昌平黌の儒官として幕府の歴史編纂に従事。慶応3(1867).8.28死去。