戦犯特赦に対する感謝決議 国会 詳しく
一、戦犯受刑者の特赦に関する感謝決議案 1.各国別に決議すること 2.提出者 益谷君外、各党の幹、「外ム委員長」幹事長、国会対策委員長、議運の委員、外ム委員長
すずきたかお
1904年~1980年
一、戦犯受刑者の特赦に関する感謝決議案 1.各国別に決議すること 2.提出者 益谷君外、各党の幹、「外ム委員長」幹事長、国会対策委員長、議運の委員、外ム委員長
本日の本会議は午前十時開会になっていたが実際としては、午前十時十分前迄には、登院数は六十五名ばかりであったので、開会することはできず。そうこうしている中に、参議院では開会のベルを鳴らすに至ったので直ちに、当方としては、理事会を開いた。而[しか]してその結果は、参議院の終了するをまってせよということになった。その為めに、議運を開く段階となった。
一、一昨日、内閣総辞職のため、首班指名をせねばならぬので、昨日一日、本会議を開会しながら各派との話合がつかず。 ニ、今日は、午后五時迄まって、できないときは更に理事会で相談のこと…。
山浦貫一君が見えての話に、清瀬議長にも話して了解ずみであるが、国会の中央の玄関にいま伊藤、大隈、板垣氏等の銅像があるが、もう一つに犬養木堂氏の像を建てる企をするとのことで、邪魔してくれるなとのことであった。自分としては邪魔はしないが、犬養氏は過去の人で、明治時代の憲政功労者は一応あれで区切りをつけて、あとは終戦後国家再建に功労あった人を顕彰すべきではなかろうか。そう考えると終戦処理、二つの日本にしなかった功績、また平和条約を締結した等の功労からは吉田茂氏がその候補者ではなからうかと話した。山浦氏もある程度は首肯されていた。
年
1947第一回国会 日々要録 昭和22年8月
【鈴木隆夫関係文書26-1】
年
1948第二回国会日誌 鈴木 昭和23年1月24日~10月9日
【鈴木隆夫関係文書26-2】
年
1948〔第三回臨時国会 日誌〕 昭和23年10月11日~11月26日
【鈴木隆夫関係文書26-3】
年
1948第三回国会日記(続)附四回国会日記 No.2 昭和23年11月27日~29日、12月2日~23日
【鈴木隆夫関係文書26-4】
年
1949第五回国会日誌 委員部長 昭和24年2月5日~5月31日
【鈴木隆夫関係文書26-5】
年
1949第六回国会日誌 委員部長 昭和24年8月4日~12月3日
【鈴木隆夫関係文書26-6】
年
1949第七回国会日誌 委員部長 昭和24年12月4日~昭和25年5月2日
【鈴木隆夫関係文書26-7】
年
1950第八回国会日誌 委員部長 昭和25年7月8日~31日
【鈴木隆夫関係文書26-8】
年
1950第九回国会日誌 委員部長 昭和25年11月13日~12月17日
【鈴木隆夫関係文書26-9】
年
1951第十回国会日誌 昭和26年1月22日~6月2日
【鈴木隆夫関係文書26-10】
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1951第十一回国会 議運日記 其他 昭和26年8月9日~18日
【鈴木隆夫関係文書26-11】
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1951第十二回国会日誌 委員部長 昭和26年10月8日~11月30日
【鈴木隆夫関係文書26-12】
1904.2.27宮城生まれ。1931.東北帝国大学法文学部卒、1937.6衆議院書記官、1947.5衆議院事務局委員部長、1953.3事務次長、1955.11事務総長、1960.7辞職、1961.4~65.4国立国会図書館長、1980.12.16死去。法学博士。
(リサーチ・ナビ「鈴木隆夫関係文書」より)
国立国会図書館所蔵写真より