国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

鈴木隆夫

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鈴木隆夫の肖像写真

鈴木隆夫

すずきたかお
1904年~1980年

鈴木隆夫の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 1947年~1955年にわたる「国会日誌」23冊と1960年の「第34回国会総長所感日誌」1冊。ペン書き、鉛筆書き。
  • 第1回国会から第22回特別国会まで。
  • 衆議院事務局委員部長、事務次長、事務総長時代の日誌。

鈴木隆夫の日記より

昭和28(1953)年7月2日

戦犯特赦に対する感謝決議 国会
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一、戦犯受刑者の特赦に関する感謝決議案 1.各国別に決議すること 2.提出者 益谷君外、各党の幹、「外ム委員長」幹事長、国会対策委員長、議運の委員、外ム委員長
昭和28(1953)年10月30日

議院運営委員会開会の経緯 国会
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本日の本会議は午前十時開会になっていたが実際としては、午前十時十分前迄には、登院数は六十五名ばかりであったので、開会することはできず。そうこうしている中に、参議院では開会のベルを鳴らすに至ったので直ちに、当方としては、理事会を開いた。而[しか]してその結果は、参議院の終了するをまってせよということになった。その為めに、議運を開く段階となった。
昭和29(1954)年12月9日

内閣総辞職後の後任首班  国会
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一、一昨日、内閣総辞職のため、首班指名をせねばならぬので、昨日一日、本会議を開会しながら各派との話合がつかず。 ニ、今日は、午后五時迄まって、できないときは更に理事会で相談のこと…。
昭和35(1960)年4月24日

新安保条約の舞台裏  国会外交
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警察官を、院内に入れて、一気に通過させては、与論が承知せぬ。
昭和35(1960)年4月28日

中央広間の銅像の4人目は? 国会
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山浦貫一君が見えての話に、清瀬議長にも話して了解ずみであるが、国会の中央の玄関にいま伊藤、大隈、板垣氏等の銅像があるが、もう一つに犬養木堂氏の像を建てる企をするとのことで、邪魔してくれるなとのことであった。自分としては邪魔はしないが、犬養氏は過去の人で、明治時代の憲政功労者は一応あれで区切りをつけて、あとは終戦後国家再建に功労あった人を顕彰すべきではなかろうか。そう考えると終戦処理、二つの日本にしなかった功績、また平和条約を締結した等の功労からは吉田茂氏がその候補者ではなからうかと話した。山浦氏もある程度は首肯されていた。

鈴木隆夫の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

鈴木隆夫について

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