明治6(1873)年2月27日
日清修好条規に向けた副島の清国派遣
外交 詳しく
外務卿副島種臣をもって特命全権大使と為し、清国に派遣せしむ。大丞柳原前光、少丞平井希昌、訳官鄭永寧をしてこれに属す。
外務卿副島種臣をもって特命全権大使と為し、清国に派遣せしむ。大丞柳原前光、少丞平井希昌、訳官鄭永寧をしてこれに属す。
有栖川宮より芝離宮において、クラント氏の為夜会。
午後六時半、李相道台[どうだい]及び通弁を携帯し来る。食後使事を談ぜんと欲し、別室に誘引し余先づ彼に告曰く、聞く所に拠れば、閣下全権委任を受たりと、果し[て]しかれば、余実に欣躍に堪へず、しかるに全権大使の任、必ず先づその国都に入り皇帝に謁を請ひ、携帯する所の国書を捧呈せざるを得ざるの職務あるをもって、節をこの地に駐ずるを得ざるをもってす。李曰、我皇帝尚幼沖[ようちゅう]にあるをもって外国の使臣に接せずと。余又曰、皇帝幼沖にして引接に便ならざる、皇太后垂簾[すいれん]政務を執る、帝に代て謁を賜ふも可なり。李曰、我国風婦女子外人に接せず、閣下能[よ]くこれを知るべしと。
英国公使館にて英国女皇の御Birthday園遊会に行。この日始めて青木大臣に面会し、また久々にてのSocial Gatheringとて誠に面白くかんず。
日英同盟成立の為め英公使館を訪ひ祝す。又清国公使蔡鈞を訪談話。外務小村、総理桂の官舎を叩く。
今朝九時宮内省参内す。午後七時露国皇族の御招きの晩餐に、霞ヶ関御用邸に参邸して十時半帰邸す。多数の人なりし。
三国条約調印。…万歳なりひびき、こゝに大祝賀終る。しかし心からそれは楽しかったか、否。前途を見れば中々[なかなか]大難局。