国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

キーワード一覧

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キーワード:外交

明治6(1873)年2月27日

日清修好条規に向けた副島の清国派遣  外交
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外務卿副島種臣をもって特命全権大使と為し、清国に派遣せしむ。大丞柳原前光、少丞平井希昌、訳官鄭永寧をしてこれに属す。
明治6(1873)年3月11日

ドイツ宮殿での皇帝一家への謁見  外交 海外
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謁見の席において帝並にビスマルク両人、次室に軍官宮内の官員等排列す。双方演説終り、また皇后に謁す。宮女四五名侍席す。午後、各省長官各国大使等へ名刺を投す。夜戯場に遊す。
明治12(1879)年8月7日

前米国大統領グラントと芝離宮  外交
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有栖川宮より芝離宮において、クラント氏の為夜会。
明治15(1882)年4月1日

布哇(ハワイ)王国での歓迎  外交 海外
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食畢[おわっ]て庭前へ皇帝陛下、本使初めを御誘引にて、大樹の蔭に到らる。…婦人三人男子一人、皆白衣、紅の短袴を着して立て踊る。婦人三人は互に手を連結して回り舞、男子は三婦にかかわらず左右の手を翻して踊る。右畢[おわっ]て音楽数回これあり。この見物中酒及煙草等時々下され、頗[すこぶ]る鄭重なる御饗応にて、午後五時帰館。
明治18(1885)年3月16日

幼帝への国書捧呈の行方  外交 海外
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午後六時半、李相道台[どうだい]及び通弁を携帯し来る。食後使事を談ぜんと欲し、別室に誘引し余先づ彼に告曰く、聞く所に拠れば、閣下全権委任を受たりと、果し[て]しかれば、余実に欣躍に堪へず、しかるに全権大使の任、必ず先づその国都に入り皇帝に謁を請ひ、携帯する所の国書を捧呈せざるを得ざるの職務あるをもって、節をこの地に駐ずるを得ざるをもってす。李曰、我皇帝尚幼沖[ようちゅう]にあるをもって外国の使臣に接せずと。余又曰、皇帝幼沖にして引接に便ならざる、皇太后垂簾[すいれん]政務を執る、帝に代て謁を賜ふも可なり。李曰、我国風婦女子外人に接せず、閣下能[よ]くこれを知るべしと。
明治31(1898)年9月15日

清国を視察  外交 海外
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総理衙門[そうりがもん]及李鴻章を訪問す。午後各公使を問。
明治32(1899)年5月24日

夫人としての外交デビュー  外交
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英国公使館にて英国女皇の御Birthday園遊会に行。この日始めて青木大臣に面会し、また久々にてのSocial Gatheringとて誠に面白くかんず。
明治34(1901)年11月10日

駐清公使夫人として赴任  外交 海外
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北京日本公使館 This day left 天津 at 9, came to Peking 1. 30. p.m. Not having had lunch ate our noon meal at about 4. Bagages arrived in the evening.
明治35(1902)年2月15日

日英同盟 成立 外交
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日英同盟成立の為め英公使館を訪ひ祝す。又清国公使蔡鈞を訪談話。外務小村、総理桂の官舎を叩く。
大正5(1916)年1月19日

ロシア皇族の晩餐  外交
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今朝九時宮内省参内す。午後七時露国皇族の御招きの晩餐に、霞ヶ関御用邸に参邸して十時半帰邸す。多数の人なりし。
昭和15(1940)年9月27日

日独伊三国同盟締結の日  外交
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三国条約調印。…万歳なりひびき、こゝに大祝賀終る。しかし心からそれは楽しかったか、否。前途を見れば中々[なかなか]大難局。
昭和35(1960)年4月24日

新安保条約の舞台裏  国会 外交
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警察官を、院内に入れて、一気に通過させては、与論が承知せぬ。