芦田均
昭和22(1947)年5月1日
鉄工ビル‐郡是[グンゼ]‐憲法普及会、党本部へは次第に代議士が集まり始めた。同時に私のパージ問題が乱れとぶ。竹田君入党のことに打合せ。夕方五時に党本部を出て帰宅した。今日も又パーヂの事件についての文書を作って郡是で複写させた。しかし万一パーヂにかゝっても差支ないといふ気持ちになって来た。
GHQによる公職追放が昭和21(1946)年から始まり、昭和23(1948)年5月までに約20万人が追放されました。日記には3月に結党した日本民主党の議員の間でも芦田の追放についての情報が「乱れとぶ」状態だったようです。