浜口雄幸
昭和4(1929)年7月2日
午後一時参内、御座所において拝謁仰せつけられ、内閣組織の大命を拝す。御前退下、直に山本、若槻両氏を訪ひ大命拝受の旨披露し、組閣の腹案を示し同意を得。午後二時半帰邸、直に組閣に着手。午後六時一切の準備を了し、閣員名簿を作成し、六時十五分参内。名簿捧呈。
張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)の処理について、天皇から叱責を受けた田中義一首相は辞意を固め、昭和4(1929)年7月2日に田中内閣は総辞職しました。同日午後1時に立憲民政党総裁の浜口雄幸に組閣の大命が下ります。浜口はすぐに組閣に取り掛かり、その日のうちに組閣を完了しました。