国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

榎本武揚

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榎本武揚の肖像写真

榎本武揚

えのもとたけあき
1836年~1908年

榎本武揚の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 幕末と明治の榎本武揚の外国渡航中の日記。
  • 「渡蘭日記」は、オランダ留学時のバタビアからセントヘレナ島までの日記。
  • 「シベリア日記」は、明治11年に2か月をかけてペテルブルクからウラジオストクまでのシベリア横断をした際の日記(大小2冊)。馬車に揺られながら大小の日記帳を使い分けて書いている。実地の踏査、綿密な観察から19世紀末のシベリアの実情が紹介されている。

榎本武揚の日記より

文久3年1月1日(1863年2月18日)

元旦にシャンパンで乾杯  海外正月
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午前十時「シャンパン」酒を酌みて礼を為す。嗚蘭人[オランダ人]また臨席相祝す。和蘭水夫その外皆諸同行に向て新年を賀す。
文久2年12月21日(1863年2月9日)

オランダ船の上で釣ったものは  海外
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過午四時過頃Dolfijn[イルカ]一尾を釣る。…本邦豆相州辺にて「シイラ」と唱ふ者と全く同物の由、我水夫共等いゝあへり。
明治11(1878)年7月29日

憎い南京虫の攻撃  海外
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燭をもって枕を検ずるに、果して「ワンドロイス」歩き居るを見て急ぎこれを殺し、しかる后寝に就く。時に既に三時頃たり。やや久しくして夢甚煩悩なり。醒て見れば両瞼ホゝと腮[あご]のところを更に三、四ヶ所刺され居たり。予怒に堪へ兼ぬれども「ワンドロイス」のあるを見ず。
明治11(1878)年8月13日

韃靼人に話しかけられる 
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見物人中に韃靼人[ダッタン人]あり。邑[ゆう]名を「カインスク」と云ふ。韃人尤も我等を奇として近付来て、頻[しきり]に物を言欠けたり。是れその面顔の相近きによるなるべし。
明治11(1878)年8月23日

シベリアで写真を集める  海外
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十時半、予は当府の写真を買ふため、寺見生と同車して先発す。日耳曼人[ゲルマン人]の写真師某の家にて二枚を買入たり。
明治11(1878)年9月2日

国境の街、買売城の訪問  海外
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午後一時「コミサル」と同車にて、支那領売買城[マイマツチン]に入り、支那の首長を訪ふ。支那と「キャクタ」町家の境は、僅[わずか]に五十尺(サーゼン)の中立地あるのみ。故に恰[あたか]も一府の如し。
明治11(1878)年9月18日

鎮台の歓迎セレモニー  海外
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さて鎮台の邸に至れば、鎮台は庁前の戸外に出て予を迎へ陸軍楽隊は庁前に並立つ。予が鎮台と共に戸に入りしとき楽起れり。客間に入れば、当府の文武官并二十四五人ばかり一切に駢立[べんりつ]せり。鎮台は一々予に引合せり。
明治11(1878)年9月20日

鱗(ウロコ)談義 海外
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予かねてこの魚の必ず北海道石狩「テシホ[天塩]」等河にも在るべきを思ひ居たるにより、その形を熟視し、かつ背筋通り三条の鱗を数へしに、一条ごとに三十五個ありたり。

榎本武揚について

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