愛国社大会延期 疫病 詳しく
后三時、帰宿。小時あり、大坂愛国社より左の報答あり。本社恒会の儀は、本月十日より開場致すべきのところ、方今各地悪疫流行の際に会し、付ては出会するに困難の向も往々これ有る由に付、十一月一日迄延期致候。この段御報のみ。匆々
こうのひろなか
1849年~1923年
后三時、帰宿。小時あり、大坂愛国社より左の報答あり。本社恒会の儀は、本月十日より開場致すべきのところ、方今各地悪疫流行の際に会し、付ては出会するに困難の向も往々これ有る由に付、十一月一日迄延期致候。この段御報のみ。匆々
嘉永2(1849).7.7福島生まれ。明治2(1869).11若松藩出仕、明治2(1869).114等権少属、明治3(1870).13等少属、明治3(1870).6辞職、明治3(1870).12三春藩庁捕亡取締、1873.2磐前県第14区副戸長、1874.1第5大区区長、1875.8石陽社(政治結社)創立、1878.1~8福島県属・庶務課民会掛、1878.11三師社を創立、1879.2~5三春町戸長、1879.7共愛同謀会結成、1880.4国会開設願望有志会を組織・総代、1880.12自由党入党、1881.3福島県会議員(議長)、1881.10自由党結党に参画、1882.12福島事件により国事犯として拘引、1883.9軽禁獄7年、1889.2大赦出獄、1890.7~1923.12衆議院議員(第1~14回総選挙当選)、1903.12衆議院議長、1905.11検挙入獄(日比谷焼き打ち事件)、1906.4無罪判決、1915.1~10第2次大隈内閣農商務大臣、1923.12.29死去。
(リサーチ・ナビ「河野広中関係文書」より)
近代日本人の肖像より