前米国大統領グラントと芝離宮 外交 詳しく
有栖川宮より芝離宮において、クラント氏の為夜会。
おおきたかとう
1832年~1899年
有栖川宮より芝離宮において、クラント氏の為夜会。
年
1863〔明治十二年日記 他〕 文久3年
【大木喬任関係文書書類の部66-4】
年
1864〔明治十二年日記 他〕 文久4年
【大木喬任関係文書書類の部66-5】
年
1864〔明治十二年日記 他〕 元治元年6月~8月
【大木喬任関係文書書類の部66-6】
年
1864〔明治十二年日記 他〕 元治元年8月~12月
【大木喬任関係文書書類の部66-7】
年
1865〔明治十二年日記 他〕 元治2年
【大木喬任関係文書書類の部66-8】
年
1867〔明治十二年日記 他〕 慶応3年
【大木喬任関係文書書類の部66-9】
年
1869〔明治十二年日記 他〕 明治2年5月~明治3年4月
【大木喬任関係文書書類の部66-2】
年
1870〔明治十二年日記 他〕 明治3年
【大木喬任関係文書書類の部66-3】
年
1879〔明治十二年日記 他〕 〔明治12年〕
【大木喬任関係文書書類の部66-1】
天保3(1832).3.23佐賀生まれ。慶応4(1868)徴士・参与職・外国事務局判事、慶応4.4軍務官判事、慶応4.7参与、明治元(1868).12兼東京府知事、明治2(1869).5東京府知事、明治2.7東京府大参事、明治2.11東京府権知事、明治3(1870).7民部大輔、明治4(1871).7民部卿・文部卿、明治5(1872).10兼教部卿、1873.4参議、1873.10兼司法卿、1880.2兼元老院議長、1881.10兼司法卿、1883.12兼文部卿、1884.7伯爵、1885.12元老院議長、1888.4兼枢密顧問官、1889.12枢密院議長、1890.12兼第1次山県内閣臨時司法大臣、1891.2宮中顧問官、1891.6第1次松方内閣文部大臣、1892.8枢密院議長、1899.9.26死去。
(リサーチ・ナビ「大木喬任関係文書」より)
近代日本人の肖像より