空襲による被害 第二次世界大戦 詳しく
夜、敵機焼夷弾により千駄ヶ谷邸焼失。
しではらきじゅうろう
1872年~1951年
夜、敵機焼夷弾により千駄ヶ谷邸焼失。
年
1945〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和20年
【憲政資料室収集文書1484-1】
年
1946〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和21年
【憲政資料室収集文書1484-2】
年
1947〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和22年
【憲政資料室収集文書1484-3】
年
1948〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和23年
【憲政資料室収集文書1484-4】
年
1949〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和24年
【憲政資料室収集文書1484-5】
年
1950〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和25年
【憲政資料室収集文書1484-6】
年
1951〔幣原喜重郎手帳及び原稿〕 昭和26年
【憲政資料室収集文書1484-7】
明治5(1872).8.11大阪生まれ。1895東京帝国大学法科大学卒、1895.11農商務属・鉱山局、1896.10外交官試験合格、外務省出向、領事館補・仁川、1899.5ロンドン総領事館、1900.12領事・アンヴェルス在勤、1901.9釜山領事館、1905.11大臣官房電信課長、1911.7取調局長、1912.5大使館参事官・米国、1913.11英国、1914.6特命全権公使・オランダ駐箚、1915.10外務次官、1919.9~22.12特命全権大使・米国駐箚、1920.9男爵、1924.6~27.4第1次・第2次加藤(高)内閣、第1次若槻内閣外務大臣、1929.7~31.12浜口内閣・第2次若槻内閣外務大臣、1940.1貴族院議員、1945.10~46.5内閣総理大臣、1946.4日本進歩党総裁、1946.5第1次吉田内閣国務大臣、1946.6復員庁総裁、1947.5衆議院議員、1949.2衆議院議長、1951.3.10.在任中死去。
(リサーチ・ナビ「幣原喜重郎関係文書(幣原文庫)」より)
近代日本人の肖像より