国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

龍野周一郎

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龍野周一郎の肖像写真

龍野周一郎

たつのしゅういちろう
1864年~1928年

龍野周一郎の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 政治家として遊説した際の日記や旅行記。1891年~1926年まで。
  • 1923年の関東大震災の記録や、衆議院選挙の際の自由党会合の様子等が記される。

龍野周一郎の日記より

明治26(1893)年7月30日

自由万歳  選挙
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星氏出発の后で、龍野は懇親会場に臨み、山田氏の紹介にて我党方針の一班を演説し、喝采[かっさい]湧くが如く自由万歳を祝し散会せり。
明治26(1893)年10月23日

感動の演説会  選挙
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午前十一時石の巻を出て、桃生郡深谷村広淵[ものうぐんふかやむらこうえん]に抵[いた]り、広淵寺の公会に臨む。聴衆一千五百余、瀬戸、重野、龍野、板翁出演。非常の感動を与へ、午後八時半散会。
明治26(1893)年10月30日

宮城第5区の補欠選挙戦  選挙
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この夜、稲井村某氏の宅に開ける演説会に臨む。聴衆二百名斗[ばかり]、重野氏先づ立憲政体論を述べ、余は自由党の方針に就て三時半演説し、夜半散会せり。改進党の壮士両三名来り妨害を企つ。成らず。遂に逃げ去れり。
明治27(1894)年3月1日

棍棒に短銃で応戦  選挙
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改進党の暴士数十名棍棒を振り、礫[つぶて]を抛[なげう]ち、余を要撃せんとす。余車上彼等を大喝し、短銃一丸を放てば、彼等皆四方に逃げ散れり。
大正12(1923)年9月1日

関東大震災、消防間に合わず 
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午前十一時五十五分大地震。…火災盛んなりしをもって、築地一角を救はんとして蒸汽ポンプを尋ねしが、一台も来らず。工兵無能驚くべし。午后八時過、別宅及事務所全焼す。
昭和元(1926)年12月25日

昭和改元 
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都門出発湯河原に入る。午前一時二十五分、聖上葉山御用邸において崩御遊ばさる。摂政宮御践祚[せんそ]、百二十四代の大統御継承。改元、昭和。午前十時、新橋発。田中さわ、国谷千代両女帯同、相州湯河原温泉天野屋に入り五十三号室に滞留す。

龍野周一郎について

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