国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

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キーワード:選挙

明治26(1893)年7月30日

自由万歳  選挙
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星氏出発の后で、龍野は懇親会場に臨み、山田氏の紹介にて我党方針の一班を演説し、喝采[かっさい]湧くが如く自由万歳を祝し散会せり。
明治26(1893)年10月23日

感動の演説会  選挙
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午前十一時石の巻を出て、桃生郡深谷村広淵[ものうぐんふかやむらこうえん]に抵[いた]り、広淵寺の公会に臨む。聴衆一千五百余、瀬戸、重野、龍野、板翁出演。非常の感動を与へ、午後八時半散会。
明治26(1893)年10月30日

宮城第5区の補欠選挙戦  選挙
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この夜、稲井村某氏の宅に開ける演説会に臨む。聴衆二百名斗[ばかり]、重野氏先づ立憲政体論を述べ、余は自由党の方針に就て三時半演説し、夜半散会せり。改進党の壮士両三名来り妨害を企つ。成らず。遂に逃げ去れり。
明治27(1894)年3月1日

棍棒に短銃で応戦  選挙
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改進党の暴士数十名棍棒を振り、礫[つぶて]を抛[なげう]ち、余を要撃せんとす。余車上彼等を大喝し、短銃一丸を放てば、彼等皆四方に逃げ散れり。
大正7(1918)年5月12日

貴族院会派の青田買い  選挙
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水曜日。大浦子事務所より電話、一、鳥取の石谷はその友人より、鎌倉に来り相談すとの話なり。一、愛媛、熊本は直接の干係[関係]なし、下岡、安達と相談せん、両人とも目下奈良に出張中。
昭和5(1930)年1月21日

衆議院解散  帝国議会 選挙
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〇議会再開。〇午前十時貴族院にて施政方針演説一時間に渉[わた]る。これに対し小久保喜七[こくぼきしち]氏の質問あり。これに答ふ。〇午後一時半、衆議院開議、自分、外相、蔵相三人演説の後、政友会犬養総裁の質問あり。自分これに答弁す。犬養氏の再質問あり。自分またこれに答ふ。第二陣として山本(悌)氏演壇に上り将[まさ]に口を開かむとする時、解散の詔勅下る(時に午後四時四十二分)。
昭和5(1930)年2月23日

無効投票の落書  選挙
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こはれた小橋に濁つた小川、無残(無産)の戦はどれもいや(本所)
昭和5(1930)年2月24日

党ではなく人を選びたい  選挙
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濱口首相の声明に、小党派の人の当選少きは、民衆が大政党の分立する政党的覚醒が充分で、主義主張の不確実な小党派が認められざるに至れるなりとの事。…政党が団結して悪事を遂行する事甚しき間は、僕は人物本位なり。
昭和21(1946)年4月11日

当選確実  選挙
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午后から開票の結果がラヂオで放送され、新聞の張出しに人が集まってゐた。党本部に行ったが余り代議士は集まってゐない。夕方にラヂオで私の当選は確実だと放送した。夕食後鳩山一郎氏往訪。
昭和21(1946)年4月13日

総選挙の結果をうけて  選挙
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選挙の結果自由党141、進歩党92、社会党91、無所属78と判明した。朝吉田外相を往訪した。俺は幣原に殉ずると談り、新内閣にはよき外相と蔵相とを捜すことだと云った。
昭和22(1947)年11月1日

外務大臣公邸に招かれて  選挙
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五時から芦田君が数人の友人を目黒の官邸に招待してくれた。…彼は民主党総裁であり外務大臣であるが、今の内閣も第一生命同様、随分弱いもので、最もこれはGHQの軍政の下にあるので、誰でも如何する事も出来ないのだが、丁度平野農相の追放の問題が起った際なので内閣も相当ゴタゴタしてゐるらしかった。一方保守政党の団結による新党結成の問題もあり、芦田君も今では総理大臣を夢みてゐるかも知れない。