てらみつただし
1908年~1996年
警務課で話す。八時官長より電話にて、明日の議事順序を各派へ通報。九時司法省政府委員室にて就寝。警視庁報告に依れば、驚くべし――。絨壇[ママ](じゅうたん)爆撃。被害二十四万戸、九十一万人。死者一万四千人と情報あり。
曰[いわ]く「広島(東西一里、南北一里、半数疎開で現在人口二十万)へB29、 4機。午前八時半。原子爆弾らしく、人口半数たる十万人死亡せり」と。小村藤井正木すべてその他の人々の安否気づかはる。多くは望み無かるべし。…軍も相当に動揺せるものの如し。
1908.12.14広島生まれ、1932.3東京帝国大学法学部卒、1938.9川越少年刑務所所長を経て貴族院に入り1943.5貴族院議事課長、1947.5参議院議事部長、1949.6参議院法制局第2部長を経て1950.7弁護士登録。監獄法改正問題へのかかわりも深く、法制審議会委員、法律扶助協会東京支部長等を歴任。1996.4.25死去。
(リサーチ・ナビ「寺光忠関係文書」より)