芦田均
昭和22(1947)年3月3日
交詢社で政界ジープに口述した。自由党の立場といふことを。それから議会に行った。財政に関する質問の日である。午后二時外務省の霞が関会で「憲法改正案のできる迄」といふ話をした。
芦田は銀座の交詢社で、自由党の立場について雑誌『政界ジープ』の記者に口述しました。交詢社は福沢諭吉によって作られた社交場で、知識交換などの交流を目的としていました。午後からは、霞関会で憲法改正案の話をします。霞関会は、国内外において国際事情を研究、研究成果を発表する事業を行って国民の国際理解増進を図り、日本外交の発展のために努めようとして発足した団体です。