芦田均
昭和22(1947)年9月20日
九時から閣義[閣議]で米価問題と追加予算を議した。米価は総理の裁定に一任することにした。予算は890億円を押つけられたが今一度交渉することゝした。
戦後のこの時期、国内は食糧不足が深刻でした。政府が農家からの買い上げ価格と業者への売り渡し価格を公定する食糧管理制度を戦中から引き続いて維持していましたが、公定価格は実勢価格に比して大幅に低いため、十分な量を確保する事が出来ず、市場には闇米が大量に出回っていました。このような状況下、芦田は米価問題に取り組みましたが、「押しつけられた」「今一度交渉する」と記しており、本問題に苦心している様が伺えます。