石坂泰三
昭和21(1946)年3月3日
泰介の死迄行を共にした大倉軍曹(邦男)が初台へ訪ねてくれて、泰介が昭和二十年五月二日午前二時、比島[フィリピン島]ルソンのカヤパ山中で倒れた事を詳細話してくれた。これで始めて命日や場所が判ったのである。大倉氏は泰介の遺骸を北を枕にして埋葬して呉れたそうだ。
石坂の次男泰介と行動を共にした軍曹の大倉邦夫が復員し、石坂のもとを訪問します。石坂は息子のフィリピン戦死の日付や埋葬について知ることができました。
昭和21(1946)年3月3日
泰介の死迄行を共にした大倉軍曹(邦男)が初台へ訪ねてくれて、泰介が昭和二十年五月二日午前二時、比島[フィリピン島]ルソンのカヤパ山中で倒れた事を詳細話してくれた。これで始めて命日や場所が判ったのである。大倉氏は泰介の遺骸を北を枕にして埋葬して呉れたそうだ。
石坂の次男泰介と行動を共にした軍曹の大倉邦夫が復員し、石坂のもとを訪問します。石坂は息子のフィリピン戦死の日付や埋葬について知ることができました。