石坂泰三
昭和22(1947)年12月31日
到々[とうとう]大晦日になった。一九四七年よ、おさらばである。
日記に記された言葉から、昭和22年が石坂にとって大変な一年だったと思われます。実際に、昭和21(1946)年末に第一生命を退職して、浪人生活に入りました。その後、東急グループを作り上げた実業家の五島慶太の紹介で小さな団体のトップになりますが、満員電車での通勤を体験し、また公職追放の危機もあり、それらを何とか切り抜けて過ごした1年だったようです。
昭和22(1947)年12月31日
到々[とうとう]大晦日になった。一九四七年よ、おさらばである。
日記に記された言葉から、昭和22年が石坂にとって大変な一年だったと思われます。実際に、昭和21(1946)年末に第一生命を退職して、浪人生活に入りました。その後、東急グループを作り上げた実業家の五島慶太の紹介で小さな団体のトップになりますが、満員電車での通勤を体験し、また公職追放の危機もあり、それらを何とか切り抜けて過ごした1年だったようです。