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勝海舟
慶応2年9月2日(1866年10月10日)
大願寺の書院にて長藩に会す。一新の御趣旨演達皆承伏、且云汝が賤士等境より出さしむるなかれ、あるいは歎願を口実として出るなかれ云々。
14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)の死去により、幕府は第2次長州征伐を停止することを決意します。停戦交渉には、当初から長州征伐反対論者であった勝が選ばれました。この日、勝は単身で宮島の大願寺で談判に臨みました。一橋(徳川)慶喜の意を汲んで停戦を申し込み、幕兵が撤退するときに長州が追撃しないことなどを条件として休戦交渉を進めました。日記は長州藩の広沢兵助(真臣)らと会談した時の様子が記されています。