宮島誠一郎
文久3年1月17日(1863年3月6日)
早暁発足。千住定宿中田屋吉右衛門に着し、旅装相改め、大夫の駕に随従し到処繁華驚目、上野山下より八代洲河岸[やよすがし]を過、巳の半刻櫻田に着す。
文久3(1863)年、米沢藩主上杉斉憲(うえすぎなりのり)は、将軍の供奉として上洛します。それに伴い、1月8日に宮島は奉行の千坂高明に従って米沢を出立しました。日記は一行が桜田門近くにあった江戸藩邸に到着した17日の様子です。「繁華驚目」と大都会江戸に驚いています。
文久3年1月17日(1863年3月6日)
早暁発足。千住定宿中田屋吉右衛門に着し、旅装相改め、大夫の駕に随従し到処繁華驚目、上野山下より八代洲河岸[やよすがし]を過、巳の半刻櫻田に着す。
文久3(1863)年、米沢藩主上杉斉憲(うえすぎなりのり)は、将軍の供奉として上洛します。それに伴い、1月8日に宮島は奉行の千坂高明に従って米沢を出立しました。日記は一行が桜田門近くにあった江戸藩邸に到着した17日の様子です。「繁華驚目」と大都会江戸に驚いています。