みやじませいいちろう
1838年~1911年
各藩兵結束して福島に会す。米沢本陳より坂蘭渓自ら諸陳を巡り、百方これを説諭し解兵せしむ。諸陣これを肯んぜず。蘭渓、人をして庭坂の本陳に告げ、各藩議論蜂起兵力をもってこれを脅すに非れば、制馭[せいぎょ]すべからず。急々見兵を尽して福島に至るべし。
外務卿副島種臣をもって特命全権大使と為し、清国に派遣せしむ。大丞柳原前光、少丞平井希昌、訳官鄭永寧をしてこれに属す。
小生一時頃より丸木写真師方に至り、祝うべき両君の写真を五枚づゝ復写せしむ。四五日間にて出来する由なり。それより二葉町に至り牛肉を買ひ、銀坐[銀座]林屋に参り、黒井悌二郎君へ依頼に依て油絵類を送る。運賃二十六銭なり。御祖母様の煙草を買ひ、それより日本橋区新大坂町兄方に至り病を訪ふ。兄全快せり。帰途岩佐に至り大八殿の祝詞を持ち行く。肴[さかな]及菓子を買て帰る。午後六時なり。
登院閉院式。十二時赤坂離宮にて内閣総理より宴会。
議会開会九時出院、伊藤総理演説好し。民法施行法案継続の案否決。民法通過。衆議院増税案否決議会解散。午後三時黒田宅に行く。
日英同盟成立の為め英公使館を訪ひ祝す。又清国公使蔡鈞を訪談話。外務小村、総理桂の官舎を叩く。
年
1850〔日記 嘉永三年庚戌〕 嘉永3年3月26日~7月7日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2120】
年
1850〔日記 嘉永三年〕 嘉永3年8月22日~9月27日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2121】
年
1863栗香漫筆 東海道十九日記 文久3年1月8日~2月10日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2122】
年
1868養浩堂私記史料 戊辰之部 甲号 明治元年
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2123】
年
1869削封御振替日記 明治2年5月26日~6月28日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2671】
年
1872養浩堂私記 一 明治5年6月~明治7年11月27日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2556】
年
1875養浩堂私記 二 明治8年5月3日~明治15年2月16日・明治16年5月22日[手記]
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2556】
年
1877明治十年日誌 明治10年2月1日~3月1日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2124】
年
1879己卯 伊香保行 明治12年5月~6月
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2125】
年
1882養浩堂紀略 明治15年
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2126】
年
1882養浩堂私記 三 明治15年5月14日~8月17日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2556】
年
1882養浩堂私記 四 明治15年8月18日~明治16年2月2日
【宮島誠一郎関係文書(所蔵)2556】
天保9(1838).7.20山形生まれ。明治3(1870).1待詔下院出仕、明治4(1871).7左院大議生、明治5(1872).3左院少議官、1875.7権少内史、1876.6修史局御用掛、1877修史館御用掛、1879.12兼宮内省御用掛、1884.12参事院議官補、1886.2宮内省華族局主事補、1888.5爵位局主事補、1893.3非職、1896.1貴族院議員、1911.3.15死去。号は栗香。養浩堂とも。
(リサーチ・ナビ「宮島誠一郎関係文書(所蔵)」より)