宮島誠一郎
文久3年1月29日(1863年3月18日)
この大堰川は川源を信州に発し、南風の時は水俄に増し、西北風の時より落水、水色常に白色を帯びて濁るなり。遠駿の界川なり。渡頭古[いにしへ]より舟橋を用[い]ず、島田金谷より人夫を出し肩輿を用て旅人を渡す。川原開豁北岸より南岸迄十八町これ有り。
上洛のため東海道を旅したおり、静岡の大井川に到着しました。日記では、東海道最大の難所とされた大井川について、川の特徴、輿や肩車による渡河など詳細に記録しています。
文久3年1月29日(1863年3月18日)
この大堰川は川源を信州に発し、南風の時は水俄に増し、西北風の時より落水、水色常に白色を帯びて濁るなり。遠駿の界川なり。渡頭古[いにしへ]より舟橋を用[い]ず、島田金谷より人夫を出し肩輿を用て旅人を渡す。川原開豁北岸より南岸迄十八町これ有り。
上洛のため東海道を旅したおり、静岡の大井川に到着しました。日記では、東海道最大の難所とされた大井川について、川の特徴、輿や肩車による渡河など詳細に記録しています。