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品川弥二郎
明治10(1877)年2月20日
熊本城下の惨禍 西南戦争
午後、賊軍川尻駅熊本より二里に著[あらわ]す。昨日鎮台の出火より引続熊本市中は炎焔天に漲[みなぎ]り、要衝にある架橋は鎮台より破壊し、人民は難を避[さけ]んとて東奔西走、実に目視するに忍びざる景況なり。
熊本鎮台の谷干城(たにたてき)は、2月14日に熊本城死守の決断をします。2月19日に出火によって天守閣が炎上しますが、東京から警視隊が到着して開戦の準備が整いました。日記には、開戦前の鎮台の緊迫した様子や市内の混乱した状況が書かれています。