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宍戸璣
明治5年12月2日(1872年12月31日)
太陰暦、以此日為結尾。[太陰暦、この日をもって結尾とす。]
それまでの国暦であった太陰太陽暦にかわり、太陰太陽暦では明治5(1872)年12月3日であった日を、明治6(1873)年1月1日として太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されました。翌日の12月3日には、「此日初用太陽暦日即為癸酉一月一日[この日、初めて太陽歴日を用う。即ち、癸酉(きゆう)一月一日とす。]」と記入しています。
明治5年12月2日(1872年12月31日)
太陰暦、以此日為結尾。[太陰暦、この日をもって結尾とす。]
それまでの国暦であった太陰太陽暦にかわり、太陰太陽暦では明治5(1872)年12月3日であった日を、明治6(1873)年1月1日として太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されました。翌日の12月3日には、「此日初用太陽暦日即為癸酉一月一日[この日、初めて太陽歴日を用う。即ち、癸酉(きゆう)一月一日とす。]」と記入しています。