ドイツで動物園、水族館を見物 海外 詳しく
午飯後、禽獣園に遊び、夜鳥魚館に往く。
いとうひろぶみ
1841年~1909年
午飯後、禽獣園に遊び、夜鳥魚館に往く。
午後六時半、李相道台[どうだい]及び通弁を携帯し来る。食後使事を談ぜんと欲し、別室に誘引し余先づ彼に告曰く、聞く所に拠れば、閣下全権委任を受たりと、果し[て]しかれば、余実に欣躍に堪へず、しかるに全権大使の任、必ず先づその国都に入り皇帝に謁を請ひ、携帯する所の国書を捧呈せざるを得ざるの職務あるをもって、節をこの地に駐ずるを得ざるをもってす。李曰、我皇帝尚幼沖[ようちゅう]にあるをもって外国の使臣に接せずと。余又曰、皇帝幼沖にして引接に便ならざる、皇太后垂簾[すいれん]政務を執る、帝に代て謁を賜ふも可なり。李曰、我国風婦女子外人に接せず、閣下能[よ]くこれを知るべしと。
年
1873〔伊藤博文手記 外遊日記〕 〔明治6年〕3月7日~3月12日
【伊藤博文関係文書(その2)書類の部1】
年
1885西巡日記 明治18年2月28日~4月18日
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部203】
年
1887〔海上旅行日誌の一部〕 明治20年12月1日~9日
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部174】
年
1889〔漢文日誌〕 〔明治22年〕7月24日~11月19日
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部15】
年
1892〔小田原日記の一部〕 〔明治25年1月6日~3月11日〕
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部50】
年
1898〔清国旅行日誌〕 〔明治31年9月8日~31日〕
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部140】
年
1899己亥西遊日記 明治32年5月8日~11日
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部204】
年
1904伊藤特派大使韓国往復日誌 明治37年3月13日~4月1日
【伊藤博文関係文書(その1)書類の部389】
天保12(1841).9.2山口生まれ。吉田松陰に師事し、木戸孝允・高杉晋作らと共に尊攘運動に挺身。明治2(1869).7大蔵少輔、明治2.8兼民部少輔、明治4(1871).7租税頭、明治4.9工部大輔、明治4.10特命全権副使として欧米各国へ差遣、1873.9帰朝、1873.10参議、1873.10~78.5兼工部卿、1874.7~11地方官会議議長、1875.7~79.2兼法制局長官、1876.10~78.3兼賞勲事務局長官、1878.5~80.2兼内務卿、1881.10兼参事院議長、1882.3~83.8欧米出張(憲法調査)、1884.3制度取調局長、兼宮内卿、1885.2特命全権大使として清国差遣(天津談判)、1885.12~88.4内閣総理大臣、1885.12~87.9兼宮内大臣、1888.4~89.10、91.6~92.8枢密院議長、1892.8~96.8内閣総理大臣、1895.6兼台湾事務局総裁、1898.1~6内閣総理大臣、1900.10~01.5内閣総理大臣、1903.7枢密院議長、1905.12~09.6韓国統監、1907.9公爵、1909.6枢密院議長、1909.10.26死去(暗殺)。
(リサーチ・ナビ「伊藤博文関係文書(その1)」より)
近代日本人の肖像より