国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

伊藤博文

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伊藤博文の肖像写真

伊藤博文

いとうひろぶみ
1841年~1909年

伊藤博文の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 主に海外訪問、外遊の折に記した日記。
  • 「西巡日記」「清国旅行日誌」は、清国に交渉に赴いた折の日記。
  • 「己亥西遊日記」は首相辞職後に全国を遊説した折の日記。
  • 韓国皇帝慰問の日誌や一部が残る「小田原日記」「海上旅行日誌」等もある。

伊藤博文の日記より

明治6(1873)年3月10日

ドイツで動物園、水族館を見物  海外
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午飯後、禽獣園に遊び、夜鳥魚館に往く。
明治6(1873)年3月11日

ドイツ宮殿での皇帝一家への謁見  外交海外
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謁見の席において帝並にビスマルク両人、次室に軍官宮内の官員等排列す。双方演説終り、また皇后に謁す。宮女四五名侍席す。午後、各省長官各国大使等へ名刺を投す。夜戯場に遊す。
明治18(1885)年3月16日

幼帝への国書捧呈の行方  外交海外
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午後六時半、李相道台[どうだい]及び通弁を携帯し来る。食後使事を談ぜんと欲し、別室に誘引し余先づ彼に告曰く、聞く所に拠れば、閣下全権委任を受たりと、果し[て]しかれば、余実に欣躍に堪へず、しかるに全権大使の任、必ず先づその国都に入り皇帝に謁を請ひ、携帯する所の国書を捧呈せざるを得ざるの職務あるをもって、節をこの地に駐ずるを得ざるをもってす。李曰、我皇帝尚幼沖[ようちゅう]にあるをもって外国の使臣に接せずと。余又曰、皇帝幼沖にして引接に便ならざる、皇太后垂簾[すいれん]政務を執る、帝に代て謁を賜ふも可なり。李曰、我国風婦女子外人に接せず、閣下能[よ]くこれを知るべしと。
明治31(1898)年9月15日

清国を視察  外交海外
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総理衙門[そうりがもん]及李鴻章を訪問す。午後各公使を問。
明治37(1904)年3月20日

韓国皇帝より大勲位を賜る  日露戦争海外
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三時半、九成軒[グソンホン]において、韓国皇帝陛下及皇太子殿下に内謁見を為す。同時に林特命全権公使もまた公使館員を率ひて参内、同所において内謁見を為せり。その際大使には皇帝陛下より大勲位金尺大綬章[だいくんいきんしゃくだいじゅしょう]の御親授あり。それより皇帝は一時間余大使と御懇談あり。

伊藤博文の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

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伊藤博文について

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