シンガポールのホテル事情 海外 詳しく
午後第四半、新嘉坡[シンガポール]着す。ルフールホテルに一泊、取扱甚だ不可なり。食物もまた甚だ不味[まずい]。始めて仏船の美味を感ぜり。
こだまげんたろう
1848年~1906年
年
1888〔手帳メモ〕 〔明治21年〕
【児玉源太郎関係文書116】
年
1891〔洋行日記〕 明治24年10月~明治25年8月17日
【児玉源太郎関係文書117】
年
1892〔手帳メモ〕 〔明治25年~〕
【児玉源太郎関係文書118】
年
1900手帳メモ 〔明治33年~明治35年頃〕
【児玉源太郎関係文書119】
年
1903手帳メモ 〔明治36年~明治37年頃〕
【児玉源太郎関係文書120】
嘉永元(1848).2.25山口生まれ。慶応4(1868).4戊辰戦争に参戦、明治2(1869).2大阪兵学寮入学、明治4(1871).8陸軍少尉、1874.2佐賀の乱・1876.10神風連の乱・1877.2西南戦争に出戦、1885.7参謀本部第1局長、1891.12欧州差遣、1892.8陸軍次官・陸軍省軍務局長、1894.10広島差遣、1895.3大本営陸軍参謀、1898.2~1906.4台湾総督、1900.12~1902.3第4次伊藤内閣兼陸軍大臣、1903.7~10兼内務大臣、1903.9~10兼文部大臣、1903.10参謀本部次長、1904.6陸軍大将・満洲軍総司令部参謀長、1906.4参謀総長、1906.7南満洲鉄道創立委員長。1906.7.23死去。
(リサーチ・ナビ「児玉源太郎関係文書」より)
近代日本人の肖像より