赤松則良
万延元年5月5日(1860年6月23日)
桜田門外の変風聞 事件
噴火山を東北に見、十時浦賀港に下碇す。聞くに、過る三月三日大老職井伊公登城の途、外桜田において浪士のため殺害せられ、午後浪士等攘夷を主張し、外国人を襲わんとするの催あるとし、騒然たりと。
咸臨丸による航海でアメリカから浦賀に帰港した赤松は、航海中に起きた大老井伊直弼が江戸城への登城中に水戸浪士等に暗殺された、いわゆる桜田門外の変についての聞き書きを記しています。
万延元年5月5日(1860年6月23日)
噴火山を東北に見、十時浦賀港に下碇す。聞くに、過る三月三日大老職井伊公登城の途、外桜田において浪士のため殺害せられ、午後浪士等攘夷を主張し、外国人を襲わんとするの催あるとし、騒然たりと。
咸臨丸による航海でアメリカから浦賀に帰港した赤松は、航海中に起きた大老井伊直弼が江戸城への登城中に水戸浪士等に暗殺された、いわゆる桜田門外の変についての聞き書きを記しています。