国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

赤松則良

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赤松則良の肖像写真

赤松則良

あかまつのりよし
1841年~1920年

赤松則良の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 赤松則良のオランダ留学日記。
  • 航海中の日記、滞在中の日記等あり(計5冊)。異国での見聞が記されている。
  • 「日記(弘化4(1847)年~文久3(1863)年)」は、オランダ留学時の見聞に加え、国内情勢等も記されている。

赤松則良の日記より

安政5年7月初旬(1858年8月初旬)

コレラの流行  疫病
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当地にコレラと唱ふる伝染病流行、日々死するもの数百人なり。この疾を受るや吐しゃ烈しく数時間にして死するあり。未だ是を治するの薬方なしといへども、是を余[予]防するの法あり。蘭人[オランダ人]教師ポンぺ氏是を著して差出せり。この疾は始めて伝来せるにて古医も知るものなかりし。亜墨利加[アメリカ]船ポーハタンにて支那より伝来せりと云ふ。或は魯西亜[ロシア]船アスコルトより伝来せり抔との風評なり。市中の騒動大方ならず、悪魔を払ふと号し、鐘大鼓にて騒ぎ回り恰も祭礼の如し。
万延元年5月5日(1860年6月23日)

桜田門外の変風聞  事件
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噴火山を東北に見、十時浦賀港に下碇す。聞くに、過る三月三日大老職井伊公登城の途、外桜田において浪士のため殺害せられ、午後浪士等攘夷を主張し、外国人を襲わんとするの催あるとし、騒然たりと。
文久3年4月16日(1863年6月2日)

オランダ到着  海外
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六時半スチュールボールドの方に当て、和蘭[オランダ]セーランドの内スコーウェンの地方を見る。■して水面を抜く事高からず。

赤松則良の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

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