榎本武揚
明治11(1878)年9月2日
国境の街、買売城の訪問 海外
午後一時「コミサル」と同車にて、支那領売買城[マイマツチン]に入り、支那の首長を訪ふ。支那と「キャクタ」町家の境は、僅[わずか]に五十尺(サーゼン)の中立地あるのみ。故に恰[あたか]も一府の如し。
榎本が清国と国境を接するロシアのキャフタに到着後、清国領土の買売城(マイマツチン)を訪問した時の様子です。ロシアと清国の国境には、わずか100m程(50サーゼン)の中立地帯を設けているだけであったことに驚いています。
明治11(1878)年9月2日
午後一時「コミサル」と同車にて、支那領売買城[マイマツチン]に入り、支那の首長を訪ふ。支那と「キャクタ」町家の境は、僅[わずか]に五十尺(サーゼン)の中立地あるのみ。故に恰[あたか]も一府の如し。
榎本が清国と国境を接するロシアのキャフタに到着後、清国領土の買売城(マイマツチン)を訪問した時の様子です。ロシアと清国の国境には、わずか100m程(50サーゼン)の中立地帯を設けているだけであったことに驚いています。