石黒忠悳
明治21(1888)年2月11日
本日は我が誕生日にしてこれを算ずれば、余弘化二年乙巳二月十一日をもって奥州梁川の陣屋に生れ、夙[つと]に両尊を失し、流離艱難苦学刻志、遂に朝に仕へて纔[わずか]に十夫の長たるも、事業の世に著きものなく碌々[ろくろく]今に至る。今明治二十一年戊子二月十一日にて齢[よわい]を重ぬる事四十三年、人世を五十年とすれば既に纔に余すもの七年、既往をもって後年を徴すれば七年間になし得べき事業果して如何ぞや。
ベルリンで迎えた43歳の誕生日の心境を日記に綴っています。生まれた時より振り返り、人生50年を意識して残りが7年になったが、これまでの実績からしてどれだけのことが出来るのか、と書いています。