石坂泰三
昭和24(1949)年7月7日
下山事件 事件
七月六日午後、ラヂオは国鉄総裁下山氏が今朝家を出たなり行衛[行方]不明だと放送したが、七日朝に至り、同氏の惨死体が東北線綾瀬駅附近の鉄道線路に発見されたと報じた。国鉄では両三日前より人員整理を発表し、組合との間に団交を開始してゐたが、元より妥協点に達せず。国鉄側は交渉を打切り整理を発表したのであったが、その結果遂にこの惨事を見るに至ったのである。
「下山事件」として知られている事件の内容を詳しく記しています。当時、東芝の労働争議で経営危機のさなか、社長として同じような立場にあった石坂は、事件を気に留めたのかもしれません。