大平正芳
昭和53(1978)年12月23日
各界の予算に関する注文を聞く。消ヒ者団体は一番にが手。しかし傾聴すべき意見多し。アメリカのわが国の成長率公約に対する公約違反を難詰する報道に与野党もマスコミも神経質。まづ実相をアメリカに説明し、予算編成後誰かを派米して、念入りに説明させることにしたい。来年度に対する決意も含めて説明させたい。
戦後の日本経済は、順調に発展してきましたが、1970年代に入り2回のオイルショックに見舞われ狂乱物価を引き起こしました。日米通商に関しても、繊維製品から始まった貿易摩擦が、1970年代後半には鉄鋼製品、カラーテレビなどが対象になりました。大平の苦悩にもかかわらず、この後も対米黒字は増加し、1980年代には、自動車などへと拡大し、いわゆる「ジャパン・バッシング」に至ることになります。