国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

1950年代以降の日記より

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主なできごと

1950年6月25日
朝鮮戦争勃発
1950年8月10日
警察予備隊令公布施行
1951年9月8日
サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印
1956年12月18日
国際連合加盟
1960年1月19日
日米新安全保障条約調印
1964年10月1日
新幹線運行開始
1964年10月10日
東京オリンピック(-10月24日)
1971年8月15日
ニクソン・ショック(ドル・ショック)
1972年5月15日
沖縄復帰
1973年8月8日
金大中事件
1975年4月30日
ベトナム戦争終結
1976年7月27日
田中角栄元首相をロッキード事件で逮捕

昭和28(1953)年7月2日

戦犯特赦に対する感謝決議 国会
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一、戦犯受刑者の特赦に関する感謝決議案 1.各国別に決議すること 2.提出者 益谷君外、各党の幹、「外ム委員長」幹事長、国会対策委員長、議運の委員、外ム委員長

昭和28(1953)年10月30日

議院運営委員会開会の経緯 国会
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本日の本会議は午前十時開会になっていたが実際としては、午前十時十分前迄には、登院数は六十五名ばかりであったので、開会することはできず。そうこうしている中に、参議院では開会のベルを鳴らすに至ったので直ちに、当方としては、理事会を開いた。而[しか]してその結果は、参議院の終了するをまってせよということになった。その為めに、議運を開く段階となった。

昭和29(1954)年12月9日

内閣総辞職後の後任首班  国会
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一、一昨日、内閣総辞職のため、首班指名をせねばならぬので、昨日一日、本会議を開会しながら各派との話合がつかず。 ニ、今日は、午后五時迄まって、できないときは更に理事会で相談のこと…。

昭和35(1960)年4月24日

新安保条約の舞台裏  国会 外交
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警察官を、院内に入れて、一気に通過させては、与論が承知せぬ。

昭和35(1960)年4月28日

中央広間の銅像の4人目は? 国会
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山浦貫一君が見えての話に、清瀬議長にも話して了解ずみであるが、国会の中央の玄関にいま伊藤、大隈、板垣氏等の銅像があるが、もう一つに犬養木堂氏の像を建てる企をするとのことで、邪魔してくれるなとのことであった。自分としては邪魔はしないが、犬養氏は過去の人で、明治時代の憲政功労者は一応あれで区切りをつけて、あとは終戦後国家再建に功労あった人を顕彰すべきではなかろうか。そう考えると終戦処理、二つの日本にしなかった功績、また平和条約を締結した等の功労からは吉田茂氏がその候補者ではなからうかと話した。山浦氏もある程度は首肯されていた。

昭和53(1978)年11月28日

私の出番 
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六時頃起床、新聞に目を通す。昨夜の福田総理の退陣表明を堺にして、事態は急速に収拾に進み、静かに私の出番を迎えてくれる空気ができつつあるようである。

昭和53(1978)年12月2日

鈍牛宰相としての抱負
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午前中の共同とのインタビューで、東大の京極氏より、政治には <金で買う政治><力で抑える政治><尊敬で治める政治>の三つがあるが、貴方はどこに力点をおくかと問われた。

昭和53(1978)年12月23日

予算編成後のアメリカ対応  国会 経済
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各界の予算に関する注文を聞く。消ヒ者団体は一番にが手。しかし傾聴すべき意見多し。アメリカのわが国の成長率公約に対する公約違反を難詰する報道に与野党もマスコミも神経質。まづ実相をアメリカに説明し、予算編成後誰かを派米して、念入りに説明させることにしたい。来年度に対する決意も含めて説明させたい。

昭和54(1979)年1月4日

仕事始め、問題山積み  国会 経済
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ダグラスとグラマン問題がやかましくなる。カンボチアの状況がいよいよ危機的になる。金太中問題も不燃焼のまゝ残つている。インフレは回避しなければならず、失業者の増加も抑えなければならない。そうした中で新春の仕事が始った。4日の伊勢参拝は無事であった。沿道の歓迎に感謝した。

昭和54(1979)年1月25日

政府演説  国会
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政治姿勢と時代認識をまづ出すことにし、それに勝負をかけた。文化の時代は、経済至上主義を排除するが、経済を軽視するものではないばかりか、経済そのものが成り立つ条件をつくり上げる文化の、目に見えない力を評価するものだ。